イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【会社員】会社員こそSNSを使った方がいい理由|自由とは自分に由るもの

みなさんごきげんよう

ここ最近やりたいことが溢れていてやっているけれど消化しきれないような幸せな状況が続いているイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

先日は浅草でお寿司を食べてゴキゲンです。アナゴってこんなにも美味しかったんですね。完全に侮っていました。


今日は会社員がSNSをするメリットと題しまして今日は8年ほど会社員でありながらコツコツと毎日取り組んできたボクが感じた会社員がSNSに真剣に楽しく取り組むメリットをお伝えしたいと思います。

会社員とSNSについての記事はこちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。

 

www.ito-chan.net

 

 

 

出会うはずのない人と出会える 

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まずボクが考える一番大きなメリットは会社では出会えないような人と出会えるということです。会社という組織に属しているとどうしても人付き合いが小さい枠の中に収まってしまいます。
社内か広がったとしてもお取引先くらいしか関係性は広がらないという人がほとんどでしょう。ましてやプライベートでは自ら何か趣味を見つけて外の世界へ飛び出そうとしない限りは人間関係は広がりません。
でもSNSでの人間関係は多様性に溢れています。今までに思い浮かぶボクが出会った人は農家、起業家、投資家、著者、アーティスト、ブロガー、占い師、漫才師、Youtuber、、、。本当に多様性しかありません。
こういう人たちとの関係性を構築できるのはSNSというツールの最大限の恩恵だと思います。人と人とのつながりを介してさらに新たな関係性を築くことができます。


また会社ではなかなか自分自身の価値観を大きな声で語ることもないと思います。なので飲みにいったり数少ない機会の中で本質的に価値観を共有できる人を見つけることは困難です。
でもSNSは自分主体で発信できるので自分の価値観をしっかりと発信した上でそれに共感してくれる人と肩書きに関わらず簡単に繋がることができます。
そう考えると会社という狭い世界に居続けると視野がどうしても狭くなりますが少しでも時間を割いてSNSで幅広い人間関係を築くことには視野を広げ自分自身を成長させることにもつながるのだと思います。

 

マネタイズを急がなくていい

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もう一つのメリットはマネタイズを急がなくていいということです。正直なところボクのSNSを始めた動機というのは会社員としてこのまま会社と命運を共にすることにリスクを感じてSNSにマネタイズの可能性を求めていたからです。はい、入り口はめちゃめちゃヨコシマだったんです笑。ブログでの収入についてもセミナーを受けにいったりそれなりに勉強もしました。
でも、気づいたのはSNSでマネタイズを目的にすべきではないということです。SNSによるマネタイズを目的にすれば関係性の構築はその手段になってしまいます。そうなってしまうと非常に味気ないものになり、うまくいく人間関係もうまくいかなくなるのです。マネタイズを焦り信用をなくしてSNSから消えていった人を何人も見てきました。


SNSを上手くビジネス活用している人はSNSでまずは関係性構築ありきで行動して結果として副産物的にマネタイズできているという人がほとんどなのではないでしょうか。
話が逸れましたが会社員はそんな風にマネタイズを急ぐ必要は全くないってことです。初めはボクも副収入を得られるようなものを持たなければならないと強迫観念でSNSを始めました。
でもコミュニケーションを軸に楽しくSNSをするようになってからはマネタイズの必要性ってほとんど感じなくなりました。毎月決まって収入がある会社員の特権ですよね。
仕事としてイベントへの勧誘や商品の宣伝をする必要がないのでとにかく楽しみ尽くせばいいってことです。それって最大のメリットじゃないでしょうか。

 

人生100年時代は人とのつながりで

ボクが昨年読んだ本の中で刺激的だったのがリンダ・グラットンの「LIFE SHIFT」という本です。

その中で書かれていたのが人生100年時代では有形資産と無形資産のバランスを取ることが大切だってことです。有形資産っていうのは字面通りお金に換算できるものです。株とか不動産とかですよね。無形資産っていうのはお金に変えられない人間関係や健康とか知識みたいなものです。
会社員の人が定年を迎え引退して家にいると急に鬱になったり奥さんとの関係が急激に悪化するという話をよく聞いたことがあります。厳しいようですが会社員が日常の忙しさにかまけて無形資産を築いてこなかったことが引退後に大きな影響を及ぼすことになるのです。


ましてや人生100年と言われるこの時代会社員もSNSを使わない手はないんじゃないかっていうのがボクの結論です。会社員生活なんて長くても60歳くらいまでです。そんな先のことまでは考える必要はないと思っていますが、もしも自分が何か新しいことを始めたいと思った時に「応援したい!」と思ってもらえるような信用を得ることが大切ですよね。だから今はできる限り挑戦する人を応援していきたいと思っています。
SNSで自分の価値観を発信してそれに共感してくれる人たちとゆるやかに関係性を築きながらゆるやかに信用を築いていく。老後に年金を満額もらえることを期待するよりも自分で主体的に動いて結果を導けることではないかとボクは思います。

 

会社員こそSNSを楽しめる

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会社員がSNSを楽しめるメリットについて何点かボクの思い当たるところをつらつらと書いてきました。まとめると会社員にとってSNSとは「日常に非日常のエッセンスを与えて豊かさをくれるもの」のなのだと思います。

SNSの中に自分の日常もありつつ日常の生活では出会わないような人たちと人間関係を築くことができます。自分の人生を豊かにしてくれる要素はいくらでもSNSの中に転がっているのだと思います。

自分で商売をしていないから、会社員だからSNSを使わないというのは非常にもったいなことなのだと思います。会社員であるからこそ自分に無理のない範囲で主体的にSNSを使うことで様々なチャンスが現れます。 


会社員における肩書きというものは自分自身が会社に所属している数年から数十年しか役に立たないものです。会社を引退する時にその「看板」は返却せねばなりません。でもSNSを使い個人として手に入れる自分自身という看板は決して誰にも真似されないものでオンリーワンです。だから会社員とは言えども個人として信頼を得ながら自分自身を看板に生きられるように努力していきたいものですね。

会社に支配され時間を搾取され続けて生きるのか自分の理想の生き方を求めて支配されない自分を築いていくのかそれは自分の主体性次第。自由とはまさに自分に由るものなのだと思います。

 

【思考】ももクロマニア2019に参加して感じたこと|自分の「好き」を拡げることの大切さ

みなさんごきげんよう

8月に入って暑さもピークに達してきましたね。水分補給をしっかりとして熱中症には十分お気をつけくださいね。外で作業したり運動するならば保冷剤をタオルで巻いて首にかけるとすごくいい予防になりますよ。

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滋賀県在住会社員です

という熱中症対策の効果を痛感したのはとあるライブに参加したからです。

8/3埼玉県のメットライフドームで開催されたももいろクローバーZの「ももクロマニア2019」に参戦してきました!!

ボクとももクロに関してはこちらの記事も読んでいただけると嬉しいです。

 

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今回のライブに参加するきっかけ

ボクの友達には「熱弁Youtuber わいざんTV」というチャンネルを運営するYoutuberわいざんという人がいます。

www.youtube.com

彼のYoutubeでは同じくYoutuberである楠さんというももクロに全くない人をメタファーにしてあの手この手で楠さんにももクロに興味を持ってもらって8/3・4に開催されるももクロマニアに自らの意思で一緒に参戦してもらおうという企画から始まっているチャンネルです。

2ヶ月の月日をかけて楠さんを口説いてかなりの手応えを感じていたようですが、残念ながら楠さんは仕事が忙しく不参加となってしまったのです。

そこで白羽の矢が立ったのがこのももクロファン歴1年のボクです。しかも数日前。

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ということで奥さんに相談。さすがにももクロのライブ行くから東京2日間行かせてというのは勇気のいることでしたが、案外と「いいよ!楽しんでおいで」と快く承諾してくれました。

しかも、、

奥さん最高かよ!! サイリウム欲しいなあって言ってたら秒でメルカリで買い落としてくれていたんです。この時ばかりは「ボクは幸せだなあ」という加山雄三の気持ちがよくわかりました。

 

会場に到着

 ワクワクを抱えながら新幹線で東京へと向かう

 

 途中、ちょっとチルってから…

 

 西武球場前駅!やっぱり3万人規模のライブはすごい…しかもカラフルだ…

 

 西武球場前で合流したわいざんは色々な人に声をかけられる人気ぶり

 

 同じくYoutuberの佐々木カルパッチョさんからも声をかけられていました

 

 ついにグッズを初購入 これでモノノフに…なれた…のか…?

 

知らないものを評論しない

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そしてあのDVDで観たももクロの聖地西武ドーム

熱気で蒸せ返るメットライフドーム内、メンバーの映像によるライブのプレゼンが終わった後は大迫力のSTOMPの「ドッドッ!!」という重低音とともにチアリーディングのパフォーマンスが始まり見入っていたところでメンバー登場!!

そしてオープニングの「ロードショー」ここでボクの毛穴は全開でテンションもマックスに。そして「BLAST!」まで息をも吐かせない展開に痺れました。

本当に夢の世界のようにあっという間に時間は過ぎていきました。もう曲順も演出も何もかも鳥肌が立つほど最高でした。そしてこのライブのためにリリースされた新曲も聴くことができ、あっという間にお別れの時間に。

そしてアンコール!あのDVDでも大迫力の「Overture」では4色のサイリウムが一斉に振られてまるで会場全体が波打って踊っているかのような独特の雰囲気がありました。

アンコールの時間も過ぎ4人の挨拶で終了かと思いきや、東京オリンピックの出場予定者の紹介と応援曲の披露。流石にライブのサブタイトルが「史上最大のプレ開会式」ということもあり東京オリンピックへの応援やマイナースポーツへの応援や認知拡大に協力する姿勢が見受けられてさすがだなあと思いました。

 終了後、わいざんと一緒にご飯を食べていたら知らないうちに写真を撮られていました。なんとも幸せそうな表情やなあ。

この言葉には何も嘘偽りはなくて本当に1年前にわいざんに進められてCDを借りて「おっ、思っていたよりいいじゃん」と思ったのがきっかけでした。

実はそれまではアイドルになんて絶対ハマることはないと思っていました。事実42年間アイドルには全く興味はありませんでした。というよりもむしろアイドルになんかハマっていたら気持ち悪がられるっていうように他者の目を気にしていたんですよね。

それが自分にとってアイドルへのブロックになっていたように思います。

でも今やボクにとってももクロは本当に自分の中で自分の人生を豊かにしてくれる存在になりつつあります。
どんなに辛く苦しい時でも笑顔で前に進むことや誰かのモノサシで自分を測って他人と比較して自分を貶めることはロマンが足りないということを教えてくれるのはいつも彼女たちです。

1年前のボクなら全く存在すら気にしていなかった彼女たち。むしろアイドルだろ?って少しバカにしていた自分に今なら言ってやりたいです。

「知りもしないくせに評価すんなよ!」と。

 

自分の人生の中で好きの領域を拡げる

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前述したようにボクは1年前に友達に勧められてCDを借りてから興味を持ち、2010年頃のDVDから順番に鑑賞していき追体験しながら本当に大好きになっていきました。

まだ幼かった彼女たちが大人が仕掛ける様々な出来事を乗り越えながら自らのスキルを高め、精神的にも圧倒的に成長していく姿。そして、彼女たちを応援するモノノフたちの純粋な姿や自発的にマナーを周知するような姿勢にも心を打たれました。

ボクはサーフィンやマラソンといったスポーツが大好きで仕事が休みの時は欠かさずそれらで遊び、また家族が大好きで家族との時間も大切にしています。そして昨年から好きになったももクロが今ボクの好きの中心に入ってこようとしています。

ボクが思うのは好きに囲まれた人生というのは本当に幸せだということです。自分の中で「好き」を意識して自ら「好き」に飛び込む姿勢がどれほど豊かさを感じることなのかということを実感しています。

これからも食わず嫌いをすることなく自分の好きを拡げる意識を持ち続けていたい。

そんな風に思う夏真っ盛りの今日この頃です。

 

 

勢いでわいざんTVに初出演しちゃいました。良かったらご覧ください。(恥ずかしいけど笑)

【DAY1】ももクロマニア2019感想! - YouTube

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【思考】生きづらさをなくすための3つの思考法|ゴキゲン思考は世界を救う

みなさんごきげんよう

梅雨明けして急に夏らしくなりましたね。先週いつも通り10キロを走っていたら一瞬ふらついてびびったイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

暑さを舐めずに水分補給はしっかりしましょうね。ボクも気をつけます。

 

最近何かと息苦しい事件が多いですが、割と背景には生きづらさを感じて世を拗ねたり八方塞がりになっていること多いような気がします。
でも果たしてこれは社会が悪いんでしょうか。政治が悪いんでしょうか。時代が悪いんでしょうか。

そんな生きづらさを感じる人にはある一定の思考パターンがあるように思います。そういう部分を手放すことができれば生きるってことの楽しさを感じられるんではないかとボクは思うんです。

良かったら最後までお付き合いください。

 

こちらの記事も一緒に見ていただけると嬉しいです。

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 完璧主義を手放す

若い頃のボクは割と完璧主義でした。一つのことを確実にこなしていかないと次に進むことはできないし、そんなボクだったから一足飛びにどんどん前に進んでいく人を許せない自分がいました。常にこうあるべきというものにとらわれて頑固にそれにこだわり続けていました。

朝令暮改が苦手で言い出したことはそれを守らなければならないと思っていました。何をなすにも自分の中に高いハードルをつくり人から「ストイックだねえ」と言われることに喜びすら感じていました。

常に正解を追い求めている生き方だったので当然それが見つからないと悩み惑いました。

 

そんなボクの考えが変わったのは枡野俊明さんの「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」という本を読んでからでした。なんだかすーっと楽になる感覚がありました。

誰かと横並びの人生なんてありえない。

自分一人の力などたかが知れている。

思い通りにならないから人生は面白い。

ちょうどなかなか結果が出ないプロジェクトで壁にぶち当たり理不尽に上司に詰められていた時にこの本を読みボクは救われました。

それまでは「こうあるべき」ということにとらわれ「嫌」を発することはできなかったボクは「逃げること」を決意します。その時にある意味「いい加減」であることの大切さを身をもって知ったんですよね。


満足の閾値を下げるということがどれほど幸福感を感じさせてくれることなのかということ、そして今まで正解だと思っていたことを時に疑う勇気が本当に大切だということを気づかされたんです。

 

今ここを生きる

多くの人が陥るのは「今を生きられないこと」なのだと思います。かく言うボクも今を生きるということの意味に気づき始めたのはつい最近のことで若い頃はそれが全くできていませんでした。誰かと比べて「自分はああしてこなかったから今がこうなんだ」ともう過ぎ去ってしまったことに後悔したり、「こういう家庭に育ったからやりたいようにできなかった」と環境に愚痴を言ったりばかりしていました。そんな風に卑屈になる割には動こうとせずにただただ過去に生きてたんですよね。

過去に生きるだけならまだしも誰かがいう未来にも不安を覚えていました。お金の価値なんてどうなるかわからないような老後に怯えたり、会社が将来なくなるのではないかという喧伝に踊らされたりとにかく地に足がつかない自分でした。

30代になり読書をするようになりそんな自分自身をなだめるかのような本に出会いました。その本が大越俊夫さんの「その弱みこそ、あなたの強みである」という本です。

その本にあった特に自分に響いた言葉が「過去はもう済ませてしまった食事のようなもので未来はまだ食材も揃っていない献立のようなもの」という言葉です。

まさに過去の自分の生き方や過去に起きた出来事を悔やんだりしてもそれは二度と戻ってくることはないし、未だどうなるかわからない未来に対して心配したところで仕方がありません。

今の自分は過去の自分の積み上げでしかなくて未来は今の自分の積み上げでしかないんですよね。だったら今を真剣に生きる以外ないんじゃないかって思わされたんですよね。

 

可抗力に集中する

完璧主義にも通じるところはありますが、自分でコントロールできることとできないことがあるということを心得るということはとても大切なことなのだと思います。全てを自分がコントロールできるという奢った考えは思い通りにならなかった時に食らう心のダメージがハンパなく大きいのだと思います。

人生に起こる出来事のおよそ6割は自分がどうあがいても変えられない環境であるということを聞いたことがあります。それを知り自分がコントロールできる範囲で必要なパフォーマンスをすることでその不可抗力の部分が小さくなって自分の影響できる部分が少しずつ大きくなってくるように思います。他人の心は変えられないというけれども、今は変えられなくても自分が出来うることに努力を積み重ねて説得力を増すことでいずれ人の心も変えられるかもしれません。

出来ないことを嘆いたり、環境を呪ったりするのではなく今できることを愚直にやっていくことで少しずつ出来ていくことが拡がっていく過程というのは幸せなことです。そんなことを気づかせてくれたのはボクが苦境に陥った時に何度も読み返したジョン・キムさんの「媚びない人生」という本です。

 

自分の人生を変える一冊を持つ

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ボクは20代の頃は全くと言っていいほど本を読みませんでした。ただただ仕事の忙しさにかまけて「本なんて読んでる暇ないわ」が口癖でした。

でも今思えばもっと若い頃に本を読んでおけばよかったと思います。まあ過去は後悔しても仕方ないんで今からもしっかり本を読みますけどね笑

忙しいから本が読めないというのは本当に言い訳でしかなくて、本を読んで自分の中に知識を蓄えて考えを変えるような刺激を得ることによって副産物的に時間はどんどん生まれてくるんだと思っています。本を読んでいると自分の中で考え方の革命が起きた時に突如生きやすくなる感覚を得られることがあります。本にはそのくらいの力があるのだと思います。

 

ボクの友達に人が生きやすくするために「ゴキゲン思考」という考え方を広めようとしている藤田さんという人がいます。

 ゴキゲン思考についてはこちらの記事を読んでいただけると嬉しいです。

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ボクには大きな夢があります。

それは人々をゴキゲンにすることです。

少しでも、毎日ゴキゲンで暮らせる人が多い世の中をつくりたい。

ボクの壮大かつ最高の夢がこれなんです。

そんな藤田さんが書籍「ゴキゲンを創ろう」 を出版しました。彼のゴキゲン思考は多くの人を生きやすくする思考だと思います。ボクはこの本を多くの人に知ってもらっていま生き辛い思いをしている人にぜひ読んで欲しいと思っています。

今彼が取り組んでいるのがこの「ゴキゲンを創ろう」を広めるためのクラウドファンディングです。このクラウドファンディングはALL-or-NOTHING方式、つまり達成しなければ計画は実行されず支援者に支援金が戻るというかたちです。

それだけの覚悟を持って自費出版されているこの本をなんとか多くの人に届けたいと友人としてボクも思っています。是非本の予約販売だと思ってクラウドファンディングにご協力いただけると嬉しいです。

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この本が誰かの人生を好転させることを楽しみにしています。

今日お伝えしたいことは以上です。

 

【SNS】自分を開示することで自分の人生を形づくる人は現れる|コミュニケーション重視のTwitter活用法

みなさんごきげんよう

台風が接近し雨風がかなり強い一日。結局家でダラダラと過ごしています。家でゴロゴロしていると頭がボーッとします。やっぱり何かしら動いていないとダメなイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

やっぱりボクは動いていないと死んじゃう回遊魚なのだと思います。あっ幻の魚イトウっていますよね。関係ないか。

さて今日もツイートの深掘りです。コミュニケーションを重視するためのTwitter活用について欠かせないのがフォロワーとの関係性です。今日はその辺りについて触れてみたいと思います。

こちらの記事も併せて読んでもらえると嬉しいです。

 

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ボクも昔は数を追っていた

ボクがFacebookを始めた2010年ごろは第一次インフルエンサーブームと言っていいほど多くのキラキラした生活を送るフリーランスや起業家たちでタイムラインが溢れかえっていました。そこにはいいねを何百ももらって意気揚々と投稿を続ける彼らを羨望の眼差しで見て劣等感を感じていたボクがいました。

ボクも影響力を持ちたい。

フォロワーをたくさん持ちたい。

いいねがたくさん欲しい。

負けず嫌いだったボクは自分なりにどうすれば人にこちらを振り向いてもらえるかを徹底的に研究しました。今人気のある人、たくさんの人にフォローされている人がSNS上でどのような行動をとっているのかをチェックしてどうすれば影響力を持つことができるのか仮説を立てながら実践していました。

その最も代表的な手法は同じように影響力がほしいと思っている人を相互フォローしてその人の投稿をシェアしたり無作為にいいねやコメントを入れることで返報性の原理(人のお返ししたくなる習性)を利用していいねを増やすということでした。

その効果が出始めていいねの数もどんどん増えていきフォロワーの数が増えていくことに喜びを感じその「手法」はどんどんエスカレートしていくのでした。まるでゲームをして経験値を稼いでレベルアップするような高揚感がありました。

でも数を手に入れたのと引き換えに得たものは虚しさでした。

入ってくるコメントはまるで判を押したようないかにもコピペした機械のようなセリフがズラッと並び全く味気のないやりとりが延々と続きます。この時ボクは数があってもハリボテでは意味がないのだと初めて気づくことができました。

 

数の論理が通用する時代ではない

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この記事でマーケティングコンサルタントであるわいざんが言っていたのがマーケティングは狩猟の時代、農耕の時代を経て今や宗教の時代に来ているということです。

マスに向けたものではなく、こちらが一方的に囲い込もうとするのでもなく、相手に応援したいという気持ちになってもらうということが今の時代は大切だということです。

ボクがTwitterを始めた頃はすでに狩猟の時代は終焉を迎えていたはずですが、まだまだマスに向けたものが非常に多かったように思います。拡散希望、相互フォローを合言葉にフォロワー数を誇示する文化もその名残なのだと思います。ツイッターはまるでバラマキチラシのように使いとにかくフォロワーを増やして拡散しまくる的な風潮がありました。でも結局何万人もフォロワーがある人でもいいね(当時はファボ)は0の人がほとんどという状況です。間違った知識を持って拡散力だけを頼りにしても結局届かないし響かないということなのです。

マーケティングの第三段階の「宗教の時代」と言われている今、SNSはフォロワーに応援される人こそが本当の意味で影響力を持てるのだと思います。モノのスペックが相対的に上がってきている時代です。良いモノが欲しいのなら有名メーカーのモノを使うし、美味しいものが食べたいのならその道のプロが作るものを食べることに満足するでしょう。

でもSNSがこれだけ普及したつながりの時代ではスペックがどうあれ「あなたから買いたい」「あなたが作るものが食べたい」と応援される人が本当に強い影響力を持つ人なのだと思います。

 

応援される人になる

ではSNS上で応援されるためにはどうすれば良いのかということです。

ボクが考えるのはシンプルに二つです。

  • 今の自分を発信すること
  • コミュニケーションを深めること 

これに尽きると思います。

一つ目の今の自分を発信するというのは、今自分が持っている考え方や自分が行動していることを率直に発信し続けることで共感してくれる人の目に触れるということです。「考えが確立してから」「やっていることが完成してから」と躊躇する必要はありません。自分を大きく見せようとする必要は全くありません。先ほども書いたように完成品はその道のプロに任せておけば良いのです。

不完全でもいいから成長過程を見せることが大切なのだと思います。人は不完全だからこそその人のもがく姿に感動し共感するんです。きっとその段階でバカにされたり批判されたりすることもあるでしょう。でもそれと同じくらい応援してくれる人や愛情をもって接してくれる人が現れるはずです。

二つ目のコミュニケーションを深めることはそうやって自分を発信しながら共感してくれたり応援してくれる人と心の通った交流をすることです。関係性は一日してならずです。継続的にコミュニケーションをとることによって物理的距離を越えた関係性を築くことができます。

実生活の中で自分の価値観を語る機会はなかなかありませんが、Twitterで語る自分の芯にある考えに共感する人が身近にできるということほど心強いことはありませんよね。

 

今付き合っている30人が人生を創る

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ボクは今の時代に生きることがすごく幸せだと思っています。それはSNSというツールがあるからです。SNS疲れとかネガティヴな面ばかりがクローズアップされがちなSNSですが使い方さえ間違えなければ、、いや間違いながら最善の使い方を身につけていけば本当に素晴らしいツールだと思います。

ボクからすると匿名でするからしんどいんじゃないかなって思います。SNS上の自分を世を忍ぶ仮の姿にすれば失うものも少ないかもしれませんが得られるものも少ない。リスクをとらなければ大きなリターンを得ることはできませんよね。

ボクの周りには自分の考えをしっかりと示し、まだ未完成でもブレずに自分の挑戦を発信し続けている仲間がいます。彼らを見ているとボクも動き出す勇気が出るしとても良い影響を受けていると感じます。

自分を開示して自分の良い部分もいまいちな部分も伝えられればすごく楽だしSNSだからといって本当の自分と乖離することもありません。自分を開示していけばその開示した本質的な自分に共感してくれる人は必ず現れます。

そういう人たちを大切にしていけば一生モノの友人が実生活よりも作りやすいのではないかと思うのです。

 

 

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【SNS】情報は自ら選びとる時代|快適なSNS空間は自分で創る

みなさんごきげんよう

最近SNS上に流れるツイートが吉本興業関連のニュースに対しての批評家的ツイートが多くてげんなりしているイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

 本質がわからないようなことにごちゃごちゃといちいち想像力を膨らましても時間と頭の無駄遣いなのにね。みんなこういう話題が好きなんすよね。
ボクはこういう時は何も見ないようにします。だってもっと生産的なことに時間を使いたいですからね。

こちらの記事も併せて読んでもらえると嬉しいです。

 

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さて今日のお題です。

 

Twitterで流れてきたとある記事から

ボクが先日Twitterを見ていたら多くの人からリツイートされていた記事がボクのところにも届きました。

その記事がこちらです。

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AV女優である戸田真琴さんの手記なのですがSNSについて非常に感受性豊かに書き連ねられているので心に刺さる部分がたくさんありました。

ネット上で流れる数々のストレスフルな投稿に心をざわつかせ、人気商売であるがゆえの誹謗中傷的なつぶやきに心を翻弄された彼女はついにTwitterをやめるという決断を下します。

まずは彼女の記事に目を通してもらえればと思います。

 

 

見る世界は自分で選べるもの

どうして、顔も名前も隠した見ず知らずの人に、簡単に攻撃されなくてはいけないのだろう、と、悩んだって答えのない問いを自分の中にしこりのように持ったまま日々を生きるのは、なんだかとても、無駄にエネルギーを奪われることのような、そんな気がするのです。

先に触れた吉本興業の話題でも、実情を知る由もない人がテレビのワイドショーの評論家に影響を受けてかマウントをとっては宮迫さんを叩いてみたり、宮迫さんが涙ながらに会見すると吉本の社長をこれみよがしに叩いているツイートを散見します。

いわゆる有名人と言われる人にはこういういつ迫害されるかわからないというリスクはつきものです。誰かを攻撃したいという欲求に駆られた輩の餌食になることは日常茶飯事です。


とりわけ彼女のようnoteで影響力のある有名人であればSNSで見られる対象はかなり広範囲にわたるのだと思います。
何万人という人が見ているのであればその中にはもちろんいい人もいればよろしくない人もいるのだと思います。有名税という言葉がありますが、彼女たちにとってリプライやコメントに目を通すのはとても気疲れすることなのではないかと思います。

ボクらのような有名でもない人でも規模は違えど、時にそういう誹謗中傷の被害者になり得ることもあるのです。そういう時にどうすればいいのか。それは見る世界を選ぶことなのだと思います。

ざわざわと心が乱れるようなツイート主から距離を置き(ミュートする)自分が見たい世界に集中するんです。そうすることで大抵のTwitterでの嫌なことからは離れることができるのだと思います。

 

大切にしてくれる人を大切にしたい

いつも、応援してくれている皆さんと少しでも近くありたいと思って利用していた場だったのに、その願望が裏目に出て、明らかに距離感を間違えたわがままをいくつもぶつけられてしまう場所になったことが、とても悔しいです。

 全ての人に好かれようとすると潰れてしまいます。そして全ての人に好かれるということは絶対にありません。ボクが保証します。

フォローされたからといって必ずしもフォロー返しをしなくていいし、いいねやコメントをもらったからといって必ずしもいいねやコメントを返さなくていいのです。ボクたちの潜在意識の中には返報性の原理といって何かをされれば何かを返さなければならないという意識が働くものですが結局これが疲弊の元になりSNSをつまらなくするのです。

もっと自分本位でもいいのだと思います。

フォローされたからではなく、自分がフォローしたいからフォローをする。

いいねされたからいいねを返すのではなく、本当にいいねと思ったものにいいねをする。

コメントされたからコメントを返すではなく、本当にコメントしたいと思ったからコメントをする。

忖度なくSNSを楽しむ主体性がなければ本当の意味でSNSを楽しむことなんてできません。せっかくのSNSで広がる可能性を忖度や気兼ねで失うのはもったいないことです。

いい意味で自分本位でやってみると本当に自分のことを大切に思ってくれる人が浮かび上がって見えてきます。自分のことを気遣ってくれたり、励ましてくれたり、仲良くしてくれたり。そういう人をとことん大切にすればいいのです。
背伸びして憧れの「影響力のある人」に近づこうとしなくていい。自分と波長の合うマインドの近しい人を大切にするだけで有名人とつながるよりも何十倍も成長の糧になるしいい関係性が展開していくのです。

  

SNS=リアルの世界を優しい世界にしたい

ここにある、手間と時間のかかった真心の中には、取り消されることのない、明確に伝えたいという意思を孕んだ思いがありました。この優しさの波は、ツイッター上でいいねやリプライが欲しいと喚き散らすわがままさと、なんて遠い場所にあるんだろう。傷つけるような発言を親指一本で衝動的にしても、削除ボタンを押せばなかったことになると思っている無計画さと、なんて遠いんだろう。

SNSを有象無象の泥沼の世界にするのも夢と希望に満ち溢れた輝ける世界にするのもあなた次第なのだと思います。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので特にTwitter上ではクラスタというものが多数存在します。愚痴を言う人には愚痴好きが同調するために集まり。誹謗中傷する人には乗っかって一緒に誹謗中傷したい人が集まります。闇に引き込まれればどこまでも闇に引き込まれ闇を持つ人たちが絡みついてくるような世界が存在するのです。 

片や自分の人生を好転させようとするエネルギーを持つ人のもとには見事にそういう人たちが集まってくるのです。そして、そういうプラスのエネルギーを持つ人たちには前述の闇の世界がまるで幻の世界のように思えるくらいに見えていません。

要はプラスのエネルギーを持つ人はそういった闇を味わっている時間がないのです。ワクワクすることや楽しいこと、好きなことに自分の全精力を注ぎ込むから負を感じている猶予がないのです。
人生を充実させようとすれば時間はお金よりも大切です。一瞬一瞬を大切にしようと思えば負の世界の住人になっている暇などありません。

自分の時間に対する意識を高め濃度を高める努力をすれば、自分の周りは優しさで溢れるようになります。

 

 情報は自分で選びとる意識を持とう

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 要はSNSを楽しむ上で最も大切なことは主体性を持つということです。特にTwitterのタイムラインは秒単位で次々と流れていくし、その時にトレンドとなるような出来事があればそれについてのツイートがタイムラインを埋め尽くすようなことがあります。受け身であればそういった大量の情報に飲み込まれ、時には扇動され、それがひどくなると洗脳されてしまい精神的にも辛くなってくることもあるでしょう。そのくらいに情報を大量に得るということはリスクを孕んでいるということを理解したほうがいいのだと思います。

堀江貴文さんはよくメルマガや著書の中で情報のシャワーを浴びよということをおっしゃっています。ボクはこの言葉はすごく好きなんですが、情報の取捨選択能力を鍛えることが本質だと思っています。くだらない情報をシャワーのように浴びたとしてもネガティブな要素しかありません。そういった情報を遮断して自分にとって有用な情報を集める。そのために情報をシャワーのように浴びるのだと理解しています。

自分にとって快適なSNS環境を得るためには自分自身で率先して得る情報や付き合う人を選んだほうがいいとボクは思います。
そうすることでSNSは自分をいい方向に導いてくれる神的なツールになるのだと思っています。

 

【SNS】SNSを楽しむための思考法|他者承認よりも自己承認を大切にするマインド

みなさんごきげんよう

今週は仕事で大阪2日富山2日、プライベートで三重1日福井1日と相変わらずどこかしらへ移動しているイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

動くと死んでしまう回遊魚のような生き物です。とにかくじっとしていることが嫌なんですよね。今の仕事は適職かもしれませんね。

 

さて、今日は最近(でもないか)何かと話題の承認欲求についての話題です。SNSとは切っては切り離せないとも言えるこれについて今日はつらつらと書いていこうと思います。

こちらの記事も併せて読んでもらえると嬉しいです。

www.ito-chan.net

 

 承認欲求ってなんぞ?

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出典:承認欲求は悪者なのか? 定義や強い人の特徴、満たし方を解説 – EARTH LAB

 

承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。

尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

 出典:承認欲求 - Wikipedia

 

承認欲求には他人から認められたいという「他者承認」ともうひとつは今の自分に満足しているかという基準で自分自身を判断する意味合いの「自己承認」の二つに分けられるそうですがボクが今回取り上げたのは前者の他者承認です。

SNSにはいいね!という機能があるゆえに嫌でも他人によって自分の投稿の評価がされてしまうという面があります。
いいね!が欲しいと思ったことがある人はほとんどなのではないでしょうか。これ自体はボクは健全だと思っています。

問題は他人と比べて自分が劣等コンプレックスを感じることなのだと思います。他人のいいね!数を見て自分が劣っていると感じたり、「いいね!が付かない」と自信をなくしてやめていくことは本当にもったいないことだと感じます。

 

蔓延するSNS疲れ

昨今SNS疲れという言葉も既に浸透してきている感もありますよね。SNS疲れは過度な承認欲求が主な原因なのではないかと個人的には思っています。

ITジャーナリストの高橋暁子さんの記事でSNS疲れについての考察記事があったので取り上げておきます。よかったら読んでみてください。

www.e-aidem.com

 高橋さんはSNS疲れの要因とかかりやすい人についてこのように挙げています。

もう一つは、自分の心や行動が原因となるものです。他の人にどう思われているかを想像したり他人と比較することで、意味なく落ち込んだり疲れてしまうことも多いものです。本来は気にする必要がないことや、見ないで済んだはずの情報を見ることで自ら疲れてしまっていることもあります。

長年いろいろな相談を受けていて感じることですが、SNS疲れになりやすい人には、特に真面目な人が多いように感じます。普段から他人を気遣ったり、相手の気持ちに敏感な人は、本来は無視していいことまで感じ取ってしまい、その結果、インターネット上でも疲れやすくなってしまう面があるのではないでしょうか。

 これは本当に頷けることでSNSに疲れる人というのは真面目な人が多いのだと思います。SNSは文字でのコミュニケーションで不完全さもあるという前提がありますが相手の表現する本質を汲み取ろうとせずストレートに受け止めてしまう人であったり、他者の反応に対してネガティブな想像を働かせて受け止めてしまう人が疲れやすいのだと思います。

高橋さんは結論としてSNS疲れを起こさないために適度にSNSと距離を置くことが大切だという風に締めくくっています。

本当にSNSに対して心身ともに疲れ切ってしまった時はボクもそうしたほうがいいと思います。
でもそうなってしまわないようにするにはあまり他者に軸を置かないことが大切です。
SNSはネット上の出来事だと思わず、SNSこそリアルコミュニケーションだとボクは思っています。あまり他者からどう思われるとかを考えすぎず、自分を飾ろうとせず自然体でやっていれば疲れずに済みます。

そういう使い方ができればむしろ自分の生活の延長としてチャンスを拡げる可能性が生まれてきます。

 

他者承認より自己承認

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つい最近の話題ですがInstagramがいいね!の数を非表示にするテストをしていて日本もその対象圏内だというニュースが出ました。

www.itmedia.co.jp

多くのSNSプラットフォームも他人のいいね!数にショックを受けてSNS疲れになってしまいユーザーを失うということを良しとしていません。今回のInstagramの発表のツイートを引用します。

 

他人のいいね!の数を羨んだり自分と他人を数だけで比較して落ち込む人が救われて多くの人がSNSで自分の投稿や自分の投稿での友人とのやりとりを楽しんでほしいというInstagram社の想いが伝わります。これをきっかけに多くの人がSNSを楽しめるといいなとボクは思います。

 

結局はSNSでも然り、もっと大きく捉えて人生っていう枠でもそうなんですが自分以外のものに軸を置くから疲弊してしまうんですよね。主体性の欠如ってやつです。これって本当に無気力や消耗を生むんだと思っています。


SNSでいうなら疲れる人は自分以外の人の投稿に敏感になりすぎているんじゃないでしょうか。もちろんその人のことが好きで追いかけているのは理解できるのですがボクはもっと自分自身の投稿に集中してみてもいいんじゃないかと思います。

日頃からボクは受信を大切にすると言っていて一見相反するようなことを言いますが、人の投稿をこってりと閲覧することははっきり言って精神に悪影響を与えると思っています。もちろん勇気付けてくれたり学びになる他者の投稿もあるでしょう。全く違う価値観に触れることも学びになることは確かです。でも少なからず嫉妬や劣等感、疑念などのネガティブな感情が蓄積されるのだと思います。

それよりも自分の投稿の中で自分の精神が成長できるようなことや自分の好きなことを発信しましょう。そこでコメントしてくれる人とコミュニケーションを深めることによって相対的な受信からくるネガティブなストレスと中和できるのではないでしょうか。要は自分の投稿で得られる関係性の深い(価値観の近い)人の投稿への受信を大切にすればいいということです。

 

他者に認められようとするのではなく、自分をもっと認めてあげましょう。それは傲慢でも自分勝手でもありません。それこそ主体性を持ってSNSをするということなのだとボクは思うのです。 

 

【思考】完璧主義を手放そう|閾値を下げることで幸せはあなたのものになる

みなさんごきげんよう

昨日ついにTVを12年ぶりに買い換えました。やっぱり新しい家電が我が家にくるというのはワクワクするものですね。うちにきた新しいTVをまるで子供のようにはしゃぎながらいじっているイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

さて、今日はツイッターでツイートしたことについて深掘りしてみたいなと思います。テーマは完璧主義と幸せについてです。良かったら最後までお付き合いください。

こちらの記事も合わせて読んでもらえると嬉しいです。

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いい加減が嫌いだった自分

ボクは昔からいい加減が嫌いでした。 30代前半までは何ごともきちんとこなしてから次に進むというのがボクの考え方でした。途中で物事を投げ出したり諦めるのが嫌いでした。だから目標を達成するために必死に努力してきました。

高校生の時も1年生2年生の時は全く学校の授業についていけずに学年テストでも最下位の方でした。でもどうしても行きたい大学があってそこに合格するために高校三年の時に寝る間を惜しんで勉強をしました。みんなが文化祭や体育祭で楽しく準備している最中でも「ごめん勉強があるから」って打ち上げにも行かずに家に帰って勉強しました。そうして希望の大学に合格しました。

就職してからも仕事は誰よりもできるという自信があったし、評価が少しでも悪ければ家で悔し涙を流していました。それくらい負けん気が強かったし、自分の仕事にも誰にも負けないという自負を持っていました。ギラギラと同期にライバル心を燃やして、誰よりも早いペースで昇進していきました。

ボクはそうやって昇進していく中でどこか自分よりも昇進のペースが遅い人を見下していました。「そんないい加減なことやってるからダメなんだよ」って。今から思えばすごく嫌な奴だったと思います。こないだたまたま一つ下の後輩と10年ぶりくらいに飲みにいくことがあって酔いも手伝ってか散々「あの時の伊藤さんはひどかった」と絡まれた記憶があります。自分ではそれほどまでは思っていなかったんだけれど自分はそれほどまでに酷かったんだと正直ショックを受けました。

それからボクはあるプロジェクトに関わる中でチームとしてはなかなか結果が出せない部署で苦悩しました。当時の上司からはひたすら「なんで悪いんだ」「お前のせいで」と毎週月曜日に罵声を浴びせられ続けさすがのボクも心の中で何かが壊れていく音がしてき始めました。そんな中で今まで読書なんて仕事の忙しさにかまけてほとんどしたことがなかったのですがそんな現実から目を背けるように自分のことを励ましてくれるような本を読み漁り自分のマインドを無理やり自分で維持してきました。

でも、様々な本から学んだことの中で一番響いたことは「いい加減」に生きるということです。それまでのボクの生き方を根本から覆す教えでした。

本当の意味での「いい加減」を知ることでプライドの高かったボクは自分の愚かさに気づき、人事に降職を願い出ることになるのです。

自分がレールから外れることを何よりも恐れ嫌っていたボクはレールを自ら外れることを選び本当の意味での「いい加減」に生きることの大切さを身にしみて知るのです。 

 

完璧主義の罠

何ごともそうですが完璧にこなそうとすると自分に無理を課してしまい、そして自分以外の人にも完璧を求めて無理を課してしまいます。それが無意識で行われることほど怖いものはないのだと思います。まさにボクの10代〜20代はその最たるものでした。

今から思えばやはり親が警察官の家庭であり子供の頃から厳しさとある種の重圧を知らず知らずに感じていたんだと思います。「いい子でなければならない」「親に迷惑をかけてはいけない」という強迫観念にも似たような感情が自然と備わっていたんじゃないでしょうか。

完璧主義は完璧でなければ自分を否定してしまいます。そしてそれが自分のために完璧にしようとしているかと言えばそうではなく往往にして自分以外の誰かを主体にしてしまっている、要は主体性がなくなることによって起こる傾向なのだと思います。

状況が完璧でなければ環境や他者のせいにしたくなるし、そういう状況になっていることの原因を自分に求めなくなってしまいます。そして、不安だけが先走り不安はやがて心配に変わっていきどんどん心を蝕んでいきます。

 

この時期のボクに最も大きな影響を与えた枡野俊明さんの本にはこうあります。

  • 世の中が不平等なのは「自然なこと」
  • 自分一人の力などたかが知れている
  • 思い通りにならないから人生は面白い
  • 逆境も、順境もそのままに受け入れる
  • 「征服」しようとすれば必ず「報復」がある
  • 「争う」のではなく「切磋琢磨する」
  • 何より「成長する」ことに力点を置く
  • 誰かと「横並びの人生」なんてありえない
  • 負けから学べないものに成長はなし
  • 「手放す」ほど大事なものが手に入る
  • 「小さな勝ち」への執着が「大きな負け」を生む

 競争からちょっと離れると、人生はうまくいく(枡野俊明)

 

こういう言葉一つ一つに自分の今までの生き方を重ね合わせた時にいかに自分自身が生きづらい生き方をしてきたかを思い知らされました。

完璧であろうとすることすれば、誰かと争うことにもなり最終的には自分とも争うことになってしまいます。

でも自分自身が出来うる最善であろうとすることで自分の成長を喜び、かつ人の成功も後押しすることができる「余裕」が生まれてくるのだと思います。自分の中で一方通行にならずにこういう循環が生まれてくると本当の意味で生きやすくなってくるんだと思います。

 

幸福の閾値を下げる

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コップの水が半分入っていてそれを見て「半分しかない」と見るか「半分もある」と見るかっていう話が有名ですが、まさにそれが幸せを感じることができるマインドかそうでないかを決めることなのだと思います。

おそらく「半分しかない」と思っている人はそれはコップがどんなに大きくなったとしてもずっと「半分しかない」と言い続ける人生を歩み続けるんだと思います。大金持ちが皆幸せではないという話はよく聞くものです。それよりも自分が満足する閾値(しきいち)を下げることが大切ですよね。

どんな状況にあっても「半分も入ってるやんか!」と喜び感謝ができる人は強い。そしてその感謝の気持ちが周りにも届き、周りの人をも幸せにできるのでしょうね。

今置かれている環境に固執して完璧を求めるのではなく、時には今与えられた環境を全て手放すことで コップに新しい水が注がれることもあります。だから今の環境を完璧にすることにとらわれず、誰かがいう幸せではなく自分だけが考える幸せというものを追求していきたいものです。