イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【思考】完璧主義と相対的なフィールドでの比較の罠には気をつけろ

みなさんごきげんよう

ここ数年は日頃からSNSを情報収集やコミュニケーションツールとして使っていてほとんどテレビを観なくなったイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

さて今日はめずらしく時事ネタです。

ちょっとネットでも話題になった記事を取り上げたいと思います。

 

 

今日のお題目です

 

 

 

 

Mー1グランプリでの騒動

何気なくネットニュースを流し読みしていた時にパッと目についてMー1の放送自体は観ていなかったのですが上沼恵美子さんが個人的には好きなので気になって中身を読んでみました。

toyokeizai.net

これ読まれた方もいらっしゃると思いますが内容も内容だけどコラムを書かれた方の分析がなかなか面白いのでオススメします。

 

ざっくりとまとめるとこんな感じですね。

  • 自分が見えなくなるほど仕事にのめり込む人は危ない
  • 同僚との飲み会のヤケ酒は悪意が前面に出やすくなる
  • 他者と相対的なフィールドで戦わない
  • 飲酒とSNSの相性は最悪である

 

 

 

完璧主義を捨てる 

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仕事にもSNSにおいてでも他の追随を許さないほどに徹底的に実践するタイプの人がいます。

この場合でいうとここでいう久保田さんであり武智さんですよね。

そういう人を見ていると確かに大きな結果を残される方が多いし単純にすごい人だなあと尊敬したりします。

 

でもあまりにも執着が強いと思い通りにならなかった時に誰かのせいにしがちです。

あるいは自分と向き合い自分を責めすぎて自分を壊してしまう人もいます。

そういう人たちを多く見てきました。

 

 

ボクが好きな禅僧であり作家の枡野俊明さんの言葉を引用します。

 

「梅花雪和香(ばいかゆきにしてわしてかんばし)」という禅語があります。
梅花は、長く厳しい雪の寒さに耐えてこそ、美しく花開き、気高い香りを放つということです。
この梅のように、人も思いどおりにならない人生の中での精進あってこそ、人としての「輝き」や「深み」ができていくのです。

 

「一翳在眼 空華乱墜(いちえいまなこにあれば くうげらんついす)」という禅語があります。
目にかすかな塵が入っただけで、幻の華が宙を舞い、乱れ堕ちてしまう、という意味です。
少し歩を止めてみる。そこに佇んでみる。
すると、素通りしていた時には気づかなかった、確かな自然の営みが感じられるのではないでしょうか。

 

 

もちろん必ず思いを遂げるという強い意志は大切です。

けどそれで頑張り続けられる人とそうでない人はいると思います。

 

思い通りにならないということをデフォルトとして思い通りにならないから人生は面白いんだという発想に切り替えてみることをオススメします。

 

そうすれば努力の末に思いを果たすということの喜びはさらに深まるし結果だけでなくそのプロセスにもスポットライトをあてることができるのではないでしょうか。 

 

 

 

他者との比較の罠

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今回のコラムの中でライターの方は”他者と相対的なフィールドで戦わない ”ということを書かれていますがまさにその通りだと思います。

他との比較や関係性の中で比較されるとどうしてもネガティブな感情が生まれてきます。今回の問題のお二人もおそらくそういった鬱屈がたまりたまって爆発したのではないかと分析されています。

 

どんな思いでこういうことを二人が言ったのかはわかりません。

でも「オレはアイツより」という相対的な比較の罠にはまってしまっていることはまちがいないのだろうと思います。

 

自分以外の誰かと比較してその誰かに対して攻撃的になるよりも別の絶対的なフィールドに立って誰とも競争しないようなところに立っていたいものです。

 

ここでも枡野さんの言葉を引用します。

「随縁(ずいえん)という言葉があります。
現在ついている仕事も、結んでいる人間関係も、すべて「縁」によって、「縁」に随って成り立っています。

ぜひ、私たちは縁の中で生かされている、ということを感じて下さい。
すると、まわりの景色が変わってきます。

 

「明明百草頭」という言葉があります。
「百草頭」とは、さまざまな草花のこと。 
「明明」とは、それぞれの草花みんなの生命がはっきりしているさま。
みんなが自分の役割をはたすために能力を磨くことに一生懸命になればいいのです。

 

禅語に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」というものがあります。
人は本来、一切のものを持たない、まったくの空、絶対的な無の存在である、ということです。

平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩幅であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。

 

他者との比較によって自分の存在を確かめると苦しい泥沼は続いていきます。

でも誰かのために自分には何ができるのかということを自分の中に探し出しながら人との関係性の中で個性を発揮していくことで道が拓けてくるのだと思います。

 

 

 

最後に 「お酒とSNS」には気をつけよう

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Mー1グランプリでの騒動のことで完璧主義の罠と比較の罠について書いてきましたがいかがでしょうか。

肩に力が入っている人はもう少し力を抜いてみてもいいのではないでしょうか。

 

こうでなければ!アイツに勝たなければ!

そういった思いでいると自分のみならず周りの人も幸せにすることはできないのだと思います。

 

そして、この騒動の本質です。

お酒の力に頼るのはやめましょう。泥酔状態でのSNSは非常に危険です。

大事なことなので繰り返します。泥酔状態でのSNSは非常に危険です。

 

ボクも来週は週4で忘年会なので自戒を込めて。

 

 

今日お伝えしたいことは以上です。

 

 

 

 

今回引用した枡野さんの禅を現代風にカジュアルに説明されている本はこちらです。

 

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