イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【思考】完璧主義を手放そう|閾値を下げることで幸せはあなたのものになる

みなさんごきげんよう

昨日ついにTVを12年ぶりに買い換えました。やっぱり新しい家電が我が家にくるというのはワクワクするものですね。うちにきた新しいTVをまるで子供のようにはしゃぎながらいじっているイトーちゃんです。

f:id:SOMASOMA0416:20190715214317j:plain

滋賀県在住会社員です

さて、今日はツイッターでツイートしたことについて深掘りしてみたいなと思います。テーマは完璧主義と幸せについてです。良かったら最後までお付き合いください。

こちらの記事も合わせて読んでもらえると嬉しいです。

www.ito-chan.net

  

いい加減が嫌いだった自分

ボクは昔からいい加減が嫌いでした。 30代前半までは何ごともきちんとこなしてから次に進むというのがボクの考え方でした。途中で物事を投げ出したり諦めるのが嫌いでした。だから目標を達成するために必死に努力してきました。

高校生の時も1年生2年生の時は全く学校の授業についていけずに学年テストでも最下位の方でした。でもどうしても行きたい大学があってそこに合格するために高校三年の時に寝る間を惜しんで勉強をしました。みんなが文化祭や体育祭で楽しく準備している最中でも「ごめん勉強があるから」って打ち上げにも行かずに家に帰って勉強しました。そうして希望の大学に合格しました。

就職してからも仕事は誰よりもできるという自信があったし、評価が少しでも悪ければ家で悔し涙を流していました。それくらい負けん気が強かったし、自分の仕事にも誰にも負けないという自負を持っていました。ギラギラと同期にライバル心を燃やして、誰よりも早いペースで昇進していきました。

ボクはそうやって昇進していく中でどこか自分よりも昇進のペースが遅い人を見下していました。「そんないい加減なことやってるからダメなんだよ」って。今から思えばすごく嫌な奴だったと思います。こないだたまたま一つ下の後輩と10年ぶりくらいに飲みにいくことがあって酔いも手伝ってか散々「あの時の伊藤さんはひどかった」と絡まれた記憶があります。自分ではそれほどまでは思っていなかったんだけれど自分はそれほどまでに酷かったんだと正直ショックを受けました。

それからボクはあるプロジェクトに関わる中でチームとしてはなかなか結果が出せない部署で苦悩しました。当時の上司からはひたすら「なんで悪いんだ」「お前のせいで」と毎週月曜日に罵声を浴びせられ続けさすがのボクも心の中で何かが壊れていく音がしてき始めました。そんな中で今まで読書なんて仕事の忙しさにかまけてほとんどしたことがなかったのですがそんな現実から目を背けるように自分のことを励ましてくれるような本を読み漁り自分のマインドを無理やり自分で維持してきました。

でも、様々な本から学んだことの中で一番響いたことは「いい加減」に生きるということです。それまでのボクの生き方を根本から覆す教えでした。

本当の意味での「いい加減」を知ることでプライドの高かったボクは自分の愚かさに気づき、人事に降職を願い出ることになるのです。

自分がレールから外れることを何よりも恐れ嫌っていたボクはレールを自ら外れることを選び本当の意味での「いい加減」に生きることの大切さを身にしみて知るのです。 

 

完璧主義の罠

何ごともそうですが完璧にこなそうとすると自分に無理を課してしまい、そして自分以外の人にも完璧を求めて無理を課してしまいます。それが無意識で行われることほど怖いものはないのだと思います。まさにボクの10代〜20代はその最たるものでした。

今から思えばやはり親が警察官の家庭であり子供の頃から厳しさとある種の重圧を知らず知らずに感じていたんだと思います。「いい子でなければならない」「親に迷惑をかけてはいけない」という強迫観念にも似たような感情が自然と備わっていたんじゃないでしょうか。

完璧主義は完璧でなければ自分を否定してしまいます。そしてそれが自分のために完璧にしようとしているかと言えばそうではなく往往にして自分以外の誰かを主体にしてしまっている、要は主体性がなくなることによって起こる傾向なのだと思います。

状況が完璧でなければ環境や他者のせいにしたくなるし、そういう状況になっていることの原因を自分に求めなくなってしまいます。そして、不安だけが先走り不安はやがて心配に変わっていきどんどん心を蝕んでいきます。

 

この時期のボクに最も大きな影響を与えた枡野俊明さんの本にはこうあります。

  • 世の中が不平等なのは「自然なこと」
  • 自分一人の力などたかが知れている
  • 思い通りにならないから人生は面白い
  • 逆境も、順境もそのままに受け入れる
  • 「征服」しようとすれば必ず「報復」がある
  • 「争う」のではなく「切磋琢磨する」
  • 何より「成長する」ことに力点を置く
  • 誰かと「横並びの人生」なんてありえない
  • 負けから学べないものに成長はなし
  • 「手放す」ほど大事なものが手に入る
  • 「小さな勝ち」への執着が「大きな負け」を生む

 競争からちょっと離れると、人生はうまくいく(枡野俊明)

 

こういう言葉一つ一つに自分の今までの生き方を重ね合わせた時にいかに自分自身が生きづらい生き方をしてきたかを思い知らされました。

完璧であろうとすることすれば、誰かと争うことにもなり最終的には自分とも争うことになってしまいます。

でも自分自身が出来うる最善であろうとすることで自分の成長を喜び、かつ人の成功も後押しすることができる「余裕」が生まれてくるのだと思います。自分の中で一方通行にならずにこういう循環が生まれてくると本当の意味で生きやすくなってくるんだと思います。

 

幸福の閾値を下げる

f:id:SOMASOMA0416:20190715231753j:plain


コップの水が半分入っていてそれを見て「半分しかない」と見るか「半分もある」と見るかっていう話が有名ですが、まさにそれが幸せを感じることができるマインドかそうでないかを決めることなのだと思います。

おそらく「半分しかない」と思っている人はそれはコップがどんなに大きくなったとしてもずっと「半分しかない」と言い続ける人生を歩み続けるんだと思います。大金持ちが皆幸せではないという話はよく聞くものです。それよりも自分が満足する閾値(しきいち)を下げることが大切ですよね。

どんな状況にあっても「半分も入ってるやんか!」と喜び感謝ができる人は強い。そしてその感謝の気持ちが周りにも届き、周りの人をも幸せにできるのでしょうね。

今置かれている環境に固執して完璧を求めるのではなく、時には今与えられた環境を全て手放すことで コップに新しい水が注がれることもあります。だから今の環境を完璧にすることにとらわれず、誰かがいう幸せではなく自分だけが考える幸せというものを追求していきたいものです。