みなさんごきげんよう。
ももクロの曲が仕事中もグルグルと頭の中を駆け巡っているイトーちゃんです。この中毒性はなんなんだろう…。
さて今日はとあるツイートについて補足も兼ねてつらつらと書こうと思います。よかったら最後までお付き合い下さい。
「あなたのため」は本当にあなたのため?
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年4月26日
「あなたのために」という言葉ほど信用ならないものはありません。本当にあなたのことを思っている人は内面に土足で踏み込んだりせずにそっとその人のことを見守る人であるはず。自分自身も決してこの言葉は使わないようにしたいものです。#信頼は見守ることで築かれる
先日こんなツイートをしました。
やや強めのツイートなので違和感を感じたり拒否反応を示した方もいらっしゃるかもしれません。なるべく違和感や不快感は与えたくないなといつも考えながらツイートはしているのですがなにせ140文字という制限の中でツイートすると必ず言葉が足りないと感じるツイートはどうしても出てしまいます。
今日はこのツイートについてボクなりの説明を加えながら理解を得ていきたいなと思っています。
ボクは「あなたのため」と言われ続けてきた
警察官で厳格で亭主関白な父と控えめで我慢強い母という典型的な保守的な家庭にボクは生まれ育ちました。警察官の家庭あるあるですがやはり家族の不祥事は出処進退に関わるためにかなり厳しく育てられたし思春期の時は抑圧感を感じていたのは正直なところです。
反面、嫌なことや我慢を強いられたりする時には「あなたのため」と言われると「ああボクのことを思って言ってくれているのだ」という風に自分自身を納得させてきました。そんな少年時代を過ごしたため、ボクは大人しく自己主張のない青年になりました。
親の言うことが正解だと思っていたし、親のやっていることが全て正解のように思えてその通りに進めない自分を責めたり自己嫌悪に陥って悩むことがありました。
結局親の期待に応えるために高校時代は友達と思い出をつくったりバカをやったりすることもなく必死に受験勉強に取り組みました。
大学進学、就職とずっと自分の「やりたいこと」や「夢」や「希望」というものを見出せず、ただただ親の期待に応えるという目的のために生きてきたように思います。
結局は全てを親に依存していたボクの未熟さなんですよね。
自分の子供にはのびのびと育ってほしい
親の言うことが全てだと思っていたので、そんな息苦しく感じていた少年時代から青春時代を過ごしてきました。
だけど、決して親に対して恨みはないし、そんな過去があったから今自分が幸せに生きていられることにつながっているのだということを思うと親には感謝しかありません。
でも、今思えば「あなたのため」という言葉を聞いていなければ、もっと自分でもがこうとしたのかなという気はします。なんだかんだこの「あなたのため」という言葉にボクは甘えていたのだと思います。親の言う通りにしていれば「そこそこの幸せ」は手に入るんだろうという計算が働いていたのだと思います。そこにはほんの少し後悔しています。自分にも若い頃にはもっとたくさんの可能性があっただろうにそれを「あなたのため」を過信しすぎたために棒に振ったという後悔もあります。
だから、ボクは自分の子供には決して「あなたのため」という口上を述べないようにしようと誓っていますし、妻にも理解してもらっています。
これは子供が親に過剰に信用を寄せるのではなく、自分で考えて自分のやりたいことに邁進する思考力を養ってほしいというボクの反省からの思いでもあります。
でも、つい口を衝いて出そうになることがあります。「あなたのため」と。
そろばん塾に通う娘が自ら行きたいと言って通い始めたにも関わらず、先日珍しく「行きたくない」とふてくされていた時に説得するにあたりついつい口走りそうになって口の奥に押さえ込みました。
ボク自身が経験し、「あなたのため」がどれほど思考停止を誘うか、自分の人生を生きる力を弱めるのかをわかっているのについ口を衝きそうになりました。
それだけ「あなたのために」という言葉には呪縛があるのだと感じます。
主体性がすべて
誰かの甘い言葉である「あなたのため」。
それはあなたから主体性を奪い、あなたが誰かから主体性を奪う呪縛の言葉なのだと思います。
ボクが思うには「あなたのため」というのは結局は自分の体面を保つために人に責任を委ねることなのではないのかと思います。たとえば親が子に過剰に期待を寄せ自らの主体性を放棄して子の人生に賭けてしまうことであったり、友人が自分自身のエゴイズムを満たすために偽善的に振る舞いをし本質的に相手を思いやることを放棄してしまうことであったり。
「あなたのため」と言われるなら「自分のため」と言われた方が清々しいとボクは思います。むしろ自分のために行動したら、それがたまたま相手のためになったという方が自然ではありませんか。
本当にあなたのことを思っているのであればわざわざそれを口に出して恩着せがましくいう必要はありません。不言実行が本当の意味での信用を生むのではないでしょうか。
要はすべては主体性の問題です。
人生で起こることを自分ごととして捉えていれば優しさのない「あなたのため」を言われても聞き流すことはできます。人の言うことを過信せず自分自身を信頼して生きていきたい。そして同じように人に過度に期待を与え、主体性を放棄させるような優しくない「あなたのため」という言葉は発しないことが大切なんじゃないかと思います。
身近に存在する人全てが、依存せずに主体性を発揮する関係性であればいいとボクは思います。
#彦根 からおはようございます!
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年3月2日
自分以外の人への過剰な期待は自分の自信のなさの裏返しなのだと思います。期待を裏切られた時の痛手は大きい。主体的に人に任せるのはそれなりの勇気と覚悟が必要です。だからこそ成功した時の互いの信頼関係の伸びしろも大きいですね。#信頼は任す覚悟と思いやり