みなさんごきげんよう。
最近の電車での活動はもっぱら小説を読むことです。特に今読んでる吉本ばななさんの「TUGUMI」の世界観にどっぷり浸かってるイトーちゃんです。
いやーしかしまあつぐみの性格が悪いったらありゃしない。
さて今日もTwitterからの気づきです。
本日のお題目です。
読んでいて目に止まったツイート
SNSを始めた頃の話。「何であの人の投稿にいいね押してんの?」って聞かれる。いいなって思ったからだよって答えると「誰がどこにいいね押してるかは見えるから考えて押したほうがいいで」って言われた。なるほど、そういうの考えてたらこんなつまんない人が集まってくるんだな、といい勉強になった。
— わいざん|脱・前例主義宣言 (@yzan_travel) 2019年1月23日
今日パッと目に止まったわいざんのツイートです。
これめちゃめちゃわかるんですよね。というのもボクも過去にこういうことを言われたことがあったから。
だいたいメッセンジャーとかDMとかのクローズな形でくるんです。
やれ「あいつとは付き合うな」とか「あいつにいいねを押すな」とか自分の価値観を押し付けてきます。
挙げ句の果てにそういうことをいう人に限ってそれは「〇〇さんがそう言っているから」というSNS上で影響力が高いと言われているコミュニティを仕切っているような人の名前を出してくるんです。
ボクはそんなふうに自分の目で確かめもせず自分でその人と向き合いもせずにちょっと目立つからと言って村八分にするような考え方が嫌いです。
ボクはこういう考え方でSNSではちょっと目立つ方なのでボクも「あいつとは付き合うな」と言われていたことがあるかもしれません。ある時から不自然にボクを無視し始めた人もいました。
きっとそういうことをしたり自分の影響下にある人に強いる人は悲しい哉自分に自信がないのだと思います。自分自身を常に人の影響の元に置きながらビクビクしているのです。だから人を囲い込もうとしたがるのではないでしょうか。
自分の感受性くらい自分で守れ
このツイートを見ながらわいざんが昨年書いていたブログを思い出しました。
衝撃的なタイトル文だったので食い入るように中身を読むとまさにボクも同じような状況になった経験があり、そして同じような気持ちになったことが取り上げられていました。
この頃から彼への価値観の共感がより深まっていったように思います。同じような嫌な目にあったボクらはこれから先こういう思いをする人を出したくないという思いで深い部分で思いを共にする部分があったのだと思います。
その中で引用されていた茨木のりこさんの詩をこのとき初めて知ったのですが心にカンカン鳴り響きました。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが
ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
何かにつけて誰かのせいにして誰かを糾弾することで自らの存在を高めようとするような人をボクは信用はできません。
常に自分の内面と向き合いながら言動や思考を省みてこそ人は成長できるのだと思います。
ましてや誰かが言っているから…というのはあまりにも意志がなさすぎて悲しい。
でも、あるコミュニティにいると”この人を怒らせるとそこにいられない”という空気感を感じさせる人はいるものです。
追い出されると居場所が無くなる不安に襲われるのです。でも本当にそこでしかあなたは生きられないのでしょうか?
全くそんなことはありません。
決して自分自身の内面に嘘をついてまでそこにい続ける必要なんて一切ないのです。
自分で自分らしくいられる場所を見つければそれでいいのだと思います。
ボクは今そういうしがらみから抜けて自分らしくいられる環境で楽しめています。そう考えるとボクから離れていってくれた人にはむしろ感謝しかありません。
主体性はTwitterを楽しむためには必須
先ほどの茨木のり子さんの詩は抽象化されているけれどその本質がストレートにグッとくる詩でしたね。
これは主体性について書かれているものですよね。他の人からの影響の中にいる限り自分の主体性は発揮することはできません。
自分で自分がどうありたいのかということをしっかりと持っておかないとあっちへフラフラとこっちへフラフラと風に弄ばれる風船のように頼りないものになってしまいます。
影響力のある人や有名な人にどうしても関心を奪われてしまいがちです。
でも思考停止すれば「影響力が高い=人間的に素晴らしい」というハロー効果を受けて「その人のいうことは絶対」のような一種の催眠状態に陥ってしまうのだと思います。
だからこそ自分自身が主体性を持つべきだと思うのです。
受信をしてその受信した内容についてしっかりと向き合い自分なりの考えでもって様々な角度から思考を巡らすことが大切なのだと思います。誰かと同じ考え方ではなくあなたオリジナルの考え方でいいのです。
そこで感じる違和感も味わい、なぜ違和感を感じるのかを考える。逆に共感する部分は何なのかを追求していけば自ずと本来の自分自身の感受性に目覚めたり価値観は構成されていくのだと思います。
そして、誰かが良いというからという理由でその人を良いと安易に判断しないことが大切です。自分自身の感受性を信じて離れることも一つです。
ボクは影響力とは他者に関心を持ってもらう力ではなく、主体たる自分自身がどれだけ自分らしさを発揮できるかという力なのだと思います。
Twitterでもそう。主体性を発揮していけばその発信は尖っていくし、受信するものも良質なものへと変化していきます。
少しずつ自分の影響の輪を広げていきたいものですね。
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年1月22日
Twitterを見ていて心がざわついたり不快な気分になるのはあなたがそれを見ることを選んでるからです。Twitterの情報は大量かつ玉石混淆。その中からどのツイートを選びとるのかは自分次第。自分のタイムラインは主体的に自分で創れます。#関心の輪にいる限り悩まされ
メンバー一人一人の主体性を第一に考える球体型のコミュニティはこちらです。
見てるだけでもめちゃ勉強になるのでROM専の方もオススメです。
今日お伝えしたいことは以上です。
レターポットで感想をいただけると嬉しいです。