みなさんごきげんよう。
コロナ疲れか最近ちょっと落ち込みやすかったり身体がだるかったりするイトーちゃんです。ボクは多分波乗りの禁断症状だと思っています。みなさんもお気をつけて。
ボクは割と意識が高いって言われたりします。
NewsPicksとか有料会員になってるしメルマガとかも結構定期購読したりしています。どっちかというと情報に敏感な方だし、いろいろ勉強したいなっていう向上心はある方だと思います。
でも意識高いことって「意識高い系」って揶揄されたりすることがありますよね。
そもそも意識高い系って何?
ちょっと気になって調べてみたんですが「意識高い系」という言葉は2000年代の中頃社会労働学者の常見陽平さんが名付けたそうです。
常見陽平さんはこのような行動を「意識高い系」の特徴としてあげています。
・「自分のプロフィールを『盛る』」
・「名言を吐きまくる」
・「横文字(カタカナ語)を多用する」
・「人脈作りに熱心」
・「勉強会や異業種交流会をやたら開く」
・「ビジネス書を多読し、中途半端にその真似をする」
・「少し関わっただけの案件に対し、全て自分がやったかのように言う」
また、態度としてはこのような特徴があると述べています。
・「やたらとカッコつける」
・「自分磨きに取り組む」
・「就職活動のイベントに積極的に参加する」
ちなみにスタバでMacBookはボクの憧れの姿です。はい。
基本的には行動力があるのは結構なことだが空回りが多く、ポイントがずれており、自己顕示欲が強いこと、つまり口先だけで中途半端で中身がないということが揶揄されるのだそうです。
つまりあまりポジティブなイメージで使われている言葉ではありません。
意識高い系だった?自分
SNSの興盛によってより多くの意識高い系の人間が出現したというように言われています。
何を隠そうこのボクもその昔意識高い系と後ろ指を指されていた時代があります。
ボクがSNSに真剣に取り組み始めたのは今から10年前の2010年ごろ。
その頃はちょうどフリーランスのブームで「組織の時代から個人の時代になる」いう言葉が最先端のビジネス書には躍っていました。
それまで特に何も考えずにサラリーマン生活を過ごしてきたボクは会社員であることで安穏とすることに危機感を感じていました。
そこでまだアーリーアダプターだったSNSで確固たる影響力を身につけることで将来的にマネタイズが出来るのではないかという下心を持ちました。
毎日コツコツとSNSに取り組み友達やフォロワーを増やし、毎日ウケの良い投稿を繰り返し一時期は平均のいいね!数は300〜400であり当時は自分には大きな影響力があるんだと勘違いしていました。
ある意味会社員としては突き抜けていたので会社の同僚からは意識高いなと嘲笑され、それでもなお目の前の「数字」を追いかけていました。
でもある時ものすごい無力感を感じました。
そこで感じたのは人を「数字」と捉えることの虚しさと怖さです。今思えばその時の体験があったからこそ今は関係性を大切にしたSNSの使い方に移行できたのかもしれません。
軸さえあれば他人に何を言われようが気にするな
ボクは意識高い系と揶揄されたこと自体は全く後悔はありません。
もちろん使い方を誤っていたことは反省すべき点はあると思います。今客観的にその頃の自分を見返したとしたらちょっとイタイタしく見えるかもしれません。
でも危機感を感じつつ何も動かなかったり、危機感すら感じずそのまま会社と家の往復を続けていたとしたらこういう大きな気づきにすら出会えていなかったと思います。
そういう意味でも色々な経験を通してボクが思うことは人が影でどういうことを言っていようが、自分自身が思って動いたことはたとえそれが周りから見ればただの意識高い系の中途半端なことであったとしても、自分にとっては次に向けての大きな経験値になるということです。
実験的にでも今動いたことはたとえ小さなことであってもその波紋は数年後必ず大きく広がって自分の助けになってくれるのだと思います。
意識高い系上等です。自分の信じた道を邁進していきましょう。
その経験はきっと宝になると思うのです。
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年8月31日
自分軸を作ることと人の話を聞かない頑固者でいるということは似て非なるものなのだと思います。多様な意見を柔軟に取り入れて自分の中を見つめ直し修正を重ねてこそ軸は育っていきます。ブレてると感じたら育ってると思えばいいのです。#成長が止まった軸は錆びていく