みなさんごきげんよう。
5連休明けの月曜日は温泉でたっぷり温まった身体で雪景色の露天風呂に出るような環境の急激な変化に陥っているイトーちゃんです。
さて、今日もツイッターをシャワーのように浴びていた時に出会った記事からの気づきです。
また使ってしまいましたこの画像。
さて今日のお題です。
SNSで死なないで
SNSで死なないで|戸田真琴 @toda_makoto|note(ノート) https://t.co/du9wTlYUbE
— 戸田真琴 (@toda_makoto) 2019年2月16日
ヒッチハイクしてる中学生とか見てて思うこと。特別になりたいと思うことも素敵なことだけど、特別じゃないということも特別であるのと同じくらい素敵でクールなことなのだ。
だから承認欲求に殺されないで。
気になるツイートとともに流れてきたのはこちらのノート記事です。
勇気を与えたいんじゃなくて、「何者か」になりたいだけなのだ、たぶん。
自分を「特別」だと思い込めた人からすれば、それに対する否定的な意見はどれも「特別な存在である自分に嫉妬している凡人の戯言」くらいにしか聞こえないだろう。だから、きっとこれは、渦中にいる人たちにとっては何の意味も持たない言葉だ。
だけれど、どうしてネットの世界ではそんなにみんな「特別」になりがたっているのだろう?きっとみんな、特別になりたいという気持ちを持っている。
だけど、その欲望だけに踊らされたら、それ以外のあなたのたくさんのいいところがかわいそうだ。
平和上等、平凡上等、どうかだれも、自分自身を破壊するほどにはこの夢のツールに支配されませんように。実体を持って、出会って、向き合って笑い合うことのできる瞬間が、いちばん強いのだから。
インターネットの光の部分と闇の部分についてしっかりと考察された上で、SNSによって操られない生き方をしてほしいという筆者の切なる思いが伝わってきます。
2010年代前半は個人の時代と盛んに叫ばれてセルフブランディングとかインフルエンサーになろうという流れが一気に来て、フォロワーを増やそう!いいね!は1000を目指そうなんていう流れがありました。
一時は収束しかかっていたその流れが最近引き戻されつつあるように感じます。それはデジタルネイティブ、SNSネイティブと呼ばれる世代がSNSに参入してきたからなのだと思います。
昨今のティーンエイジャーのバカッター騒ぎや無謀なチャレンジなんかを見ていると、個人としてブランディングしてインターネットを活用してマネタイズしたいというかつてのインフルエンサー願望ではなく、ただただ特別感を得たいという何か世代を映し出したような流れになってきているのではないかとボクも憂う時があります。
ともすれば、将来や命でさえ奪われてしまうようなことと引き換えに得る特別感なんて冷静に考えればないのだと思います。SNSにはそれをわからなくさせてしまうような魔力が潜んでいるようにも思います。
承認欲求の虜になってはいけない
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年2月17日
ボクはSNSについてよくツイートしていますがいちばん伝えたいことはSNSは手段でありツールであり目的ではないということです。SNSで承認欲求を満たすことが目的になると発信にも受信にも疲弊してきます。これはボクも経験してきたことです。#SNSリアルを加速するツール
こんなツイートをしたのもFacebookを始めた6年くらい前はボクもいいね!の魔力に囚われていたからなのです。
会社員という立場に劣等感を抱き、つながりのあったフリーランスや経営者の方と肩を並べたい。そのためには個人として影響力を持ち一目置かれる存在にならなければならない。
そんな劣等感からくる強迫観念がボクに特別感を持たせるにはSNSで影響力を身につけるしかないという選択を迫ったのです。そしてボクはいいねに魂を売りました。
機械のように人に不特定多数の人にいいねを押したり、見知らぬ人をフォローしまくったり、コピペでコメントを入れまくったり。誰かから習ったそんな手法をひたすら時間をかけてやりまくりました。そして見る見る増えるいいねに気を良くしてえんえんと機械のようにその「手法」を続けました。
承認欲求が高まれば高まるほど、それは麻薬のようにもっと…もっと…とエスカレートしていくのです。そうなっていくともはや自分で気づく以外に止まることはありません。
もはやゲームをしているかのようにいいねを求めます。そうなると完全に強迫観念と承認欲求の亡者の出来上がりです。
結局残ったのは虚しさだけだったのです。
SNSはリアルを加速させるツール
そんな苦い経験があったからこそボクはSNSに対しての恐ろしさもわかるし、結局承認欲求を満たすためにやったところで虚しさだけが残るということもわかります。
そして、何よりSNSは人があってのものだということがわかります。
痛い経験はボクにSNSで人に向き合うことの大切さを教えてくれたからです。
ボクはお節介かもしれないけど前出のノート記事にあるような状況を憂いています。
30歳を越えた立派な大人でさえも狂わせるような魔力のあるSNSがまだ善悪の判断もままならないティーンエイジャーに牙を剝く恐ろしさは想像に容易いものです。
若い人は特にですが、SNSをリアルを補完するツールとして見てほしいと思います。ネット上だけで近視眼的になってしまうとネット上の声だけが全てだと誤解してリアルの大切さがボヤけて見えてきます。
SNSでの人気を得ることだけが目的になってしまっては結局その反応に一喜一憂することになり疲弊してしまいます。
反面自分自身が主体的にリアルにつながるようにSNSをツールとして扱えるようになるとSNSは特別な力を発揮してくれます。自分の夢を叶えるための人間関係を築いたり、成長につながる仲間を作れたり。
SNSはいいねやフォロワー数が全てではない。
リアルにつながるような中身の濃い関わりを築けば、よりあなたのSNSライフは輝くのだと思うのです。
と書いていたらどっぷり承認欲求を満たしている方がいたので晒しておきますねw
わー!
— ⭐︎KUSSUN⭐︎楠一成 (@kussunokio) 2019年2月18日
リアルタイムで満たしてたところでした。https://t.co/XyVyYgf7Im
今日お伝えしたいことは以上です。
レターポットで感想をいただけると跳んで喜びます。