みなさんごきげんよう。
今年は雪が少ないせいか子供と雪遊びができずに密かに雪乞いをしているイトーちゃんです。去年は滑り台とか作って楽しかったなあ。
さてTwitterをやっていると楽しいことは多いですがこんなボクでもちょっとざわっとなるときもあるんですよね。まあ基本気は長いほうなんでそんなにイライラすることはまずないんですけどね。
ということで今日のお題です。
仲のいい人に引用されていたツイートが読めない
友達が引用ツイートしているなっと思ったけどその引用ツイートが「表示されません」というエラーが出ます。そして見ようとすると上の表示。
オーマイガーです。ボ、ボクブロックされてるやん。。。
まあ#オレクラス ともなると結構こういうことはあるもんなんですよね。はっきり言って慣れっこです。でもやっぱり正直「ああまたか。。」ってなります。
やっぱりあんまり気分のいいものではありません。
ボクはもうTwitterでは4年ほど朝から自分の思っていることや価値観を発信し続けています。このツイートを受け入れて響いたとか言ってくれる人もいれば、やっぱり受け入れられずにイラっとする人もいるのでしょう。
長くSNSをやっていると気づくことがあるんです。
絶対にフォロワー全員に好かれることはない。と。
そういう考え方の多様性というものを受け入れて批判されるかもしれないという覚悟を持った上で発信しなければ、いざネガティブな反応を受けた時にショックを受けたりツイートすることに恐怖さえ覚えるのです。こんなボクもそういう時期もありました。
でも、それでツイートすることをやめてしまうのは非常に勿体ないことですよね。少なからず自分のツイートを心待ちにしてくれるような人がいるのならば、多様性を認めずそういう批判的なことをツイートする人に屈する必要はないのだと思います。
自分の発信によって誰かに勇気を与えることもあれば、誰かを傷つける可能性はあります。でもそれは受け手に委ねるしかないのです。
怖がってそれを止めてしまうとあらゆる可能性が奪われます。しかもそれを一部の皮肉屋や批判的な人間に屈することによってです。悔しくありませんか?
自分の価値観を表現することによって、自分の価値観に近しい人、今後仲間になってくれる貴重な出会いが得られるのです。それをフイにするのは勿体ない。
仲のいい人の引用ツイートを見ようとしたら引用されてる人にブロックされてることに気づく。そういう経験が実は多い。「全ての人には受け容れてもらえない」それはわかるけど少し感じる寂しさ。意図せず誰かを傷つけてるのかもしれない。でも発信はそんな覚悟の上にあります。#イトーちゃんの価値観
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年1月29日
ブロックはあまり穏やかではない
今回ボクはブロックされていたわけですが、さすがにブロックはボクにとっては心外です。ブロックというのはTwitterにおける最終手段ですから。
いわばTwitter社に対して「このアカウントは悪質です」という密告をする行為です。つまりそのアカウントのTwitter社からの信用を毀損させる行為なんですよね。
SNSってある種アカウントとプラットフォーマーとの信頼関係の中で成り立っている部分が強いのです。それを毀損させるというのはもはや攻撃としか受け取れませんよね。
もちろん故意に嫌がらせや付きまといをしたのならばブロックされるのも仕方ないことだと思います。でもその人にそんなことした覚えは全くありません。
例えるなら痴漢の冤罪のようなものです。
悪いことをしてないのに「この人悪いことしました」って手を掴んで訴えられるようなもんなんです。だからすごく残念な気持ちと「なぜここまで」というモヤモヤした気持ちになるんですよね。
ツイッターで絡まれたり変な人がいたらミュートしましょう。ブロックすると相手にわかっちゃうのでお勧めしない。反応すると喜んで捨てアカ作って何度でも絡みにくるよ。家の外でナイフ振り回してる人いたら気付かれる様な行動はせずカーテン閉めて気配を消すよね。これがミュート。一番安全かつ平和。
— Testosterone (@badassceo) 2018年12月19日
むしろTwitterで実際に変な人と遭遇したとしてもTestosteroneさんが言うようにブロックはしないほうがいいと思うのです。今回のボクみたいにいずれ相手に気づかれてしまいます。もしボクが陰湿だったりしたらかなり危険ですw
話が少しずれましたが、ちなみにボクはブロックはよっぽどのことでないと行いません。相手に逆恨みされる可能性があるからです。
まずは見たくないのであれば、フォローを外せばいい、またはミュートすればいい。それだけで関わりはほとんどなくなっていきます。
それでもあえてブロックしてくるような人は対象の人に嫌な思いをさせてやりたいという悪意さえ感じるのです。
だからボクは簡単に人をブロックするような人は信用しません。
他者目線を徹底的に意識する
今回はある人にブロックされていたと知ることでまたひとつ気づきができました。
誰かに批判されたりこういうことが起こると感じること。それは自分自身に圧倒的に他者目線が足りていないということです。
冒頭でも書きましたが全ての人に好かれることはありません。「自分の好きな人だけに届けばいい」、「自分の言葉を聞きたい人だけに聞いてもらえればいい」という論調もあります。そういう好きな人だけを大切にする論はありますが、それだけでは視野が狭くなってしまうと思うのです。思考を停止させてそういう風にすることは簡単で楽なのですがそれでは成長がないのだと思うんですよね。
また「ありのままの自分を出せばいい」という論調もあります。ありのままの自分の思いを発信することは大切だけれど発信の先には必ず人がいるということを意識しなければただの独り善がりになってしまうのです。そこを誤解してはいけないのだと思います。
過去の自分のツイートを振り返ってみると明らかに他者目線が欠けているツイートは散見されます。過去のツイートを徹底的に他者目線でダメな部分を洗い出していくことで ”こういう言い方もあった” 、”こういう風に表現を変えてみよう” と磨き上げていくこともできるのです。
そんな試行錯誤の積み上げがより表現力を豊かにしていくのではないかなと思うんです。
そういう意味では批判や反論も大いに歓迎すべきものだと思います。
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年1月29日
耳障りの悪い言葉にすぐに耳を閉じたくなるのが人の心。でもなぜこういう風に言われるのかということを省みた時に他者目線が欠けていることに気づくことがあります。それは悲観するものでなくむしろ歓迎すべきことなのだと思います。#自問する独りよがりにならぬよに
けどブロックは凹むから堪忍して!頼むね!!
今日お伝えしたいことは以上です。
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