みなさんごきげんよう。
最近ますますももクロが好きになってその人気の背景を知りたくて色々と調べるのが日課になっているイトーちゃんです。ちなみに今までアイドルなんて全く興味がありませんでした。
さて今日はTwitterを見ていて思ったことについてつらつらと書いていきます。
よかったら最後までお付き合いください。
今日のお題です。
「何をではなく誰が言うか」の弊害
Twitterが難しいのは、どう考えても価値観の合わない奴が当たり前のように存在してて、そいつらの言葉も耳に入ってくることなんだよな。で、声が大きい人だと正解のように見える時もある。でも気にしなくていい。違う生き物なんだから無視しとけばいい。3年もSNSやってるとそういう事がわかってくる。
— わいざん|横山 文洋 (@yzan_travel) 2019年3月24日
このツイートがすごく感じるものがあったのでご紹介します。
Twitter上では色々な考え方が展開され色々な人が存在します。だからこそリストやフォロー関係を見直しながら自分の快適なタイムラインにするようにするものなんですがやはり見たくないものも流れてくるのが実情です。合わない人には無理に合わそうとせずにスルーする方がいいという趣旨だとボクは理解しました。
今やSNS全盛の時代。SNS以前の時代はマスメディアの言うことが全ての情報源だったのですが、今や個人がメディアとして発信できる時代です。ステレオタイプな広告は嫌われて人は「あの人が言うから」と信用の置ける人の情報をマスメディアよりも大切にする時代です。
「何を言うかよりも誰が言うか」の時代です。
それ自体は歓迎するべきことなのですが、長くSNSをやってきたボクが思うのは結局多くの人はマスメディアが情報を牛耳ってきた時代とそれほど大きく変わっていないと言うことです。
多くの人は声の大きい「インフルエンサー」と呼ばれる人の言葉を鵜呑みにして考えることをやめているようにも思えるんですよね。「あの人が言うのなら間違いない」「この人が言っていることは正解だ」と全く疑わずに信用を置き情報を鵜呑みにしがちになっているのではないかと時々思うんです。
これなら「トヨタが言っているから」「パナソニックが言っているから」とブランドでモノを選んでいる時代とそれほど変わらないんですよね。
言っている人が有名人だからとかすごい結果を出しているからというだけでバイヤスがかかってしまうのが非常に危険だということです。
人を崇拝することは思考を止めること
僕は人を崇拝しません。
— ナッキー🐎上迫直生(うえさこ なおき) (@nacky_peppys) 2019年3月25日
ただ、尊敬すべき人。指針となる人はいます。
誰かを崇拝する事は、その人の言う事が全てだと信じ、自分で考える事を放棄する事です。
そこに成長の要素など一つもなく、虚しさしか残りません。
人への最大の敬意は、崇拝ではなく、自己成長に繋げる事。
そこに尽きます。
このツイートにも激しく共感しました。
誰かのことを信用することはとても大切だし、信用される方の人にもやはりそれなりの魅力があるのだと思います。
でも、一方的に人を崇拝することはボクも個人的にはあまり宜しくないことだと思っています。
なぜかというと崇拝をした時点で思考が停止し、人の言うことを盲信することによって起こる弊害は自分自身の成長の停止です。
盲信し媚びへつらうことは自分のためにもならないし相手を有頂天にさせ勘違いさせてしまう罪なことなのだと思います。
SNS上での発言や行動を見てその人のことを尊敬したり好きになることはよくあることだと思います。だけれど決して崇拝はするべきではないのだと思います。
尊敬している人への敬意は自己成長。尊敬されるような人であればあなたの自己成長を一緒に喜んでくれることでしょう。決して自分についてこないから従順になってこないからといってあなたを遠ざけたりしないはずです。
入り口を狭めないことが大切なのだと思います。多様な考え方を批判せず、一旦は受け入れてそれから付き合っていくかどうかを判断すればいいのです。
初めから誰かを崇拝しその人の考え方しか受け付けないというのはみすみすチャンスを遠ざけることなのだと思います。
自分自身の成長度合いや心境によって誰の言葉が響くのかはわかりません。入り口を拡げて多くの人の声に耳を傾けてみるべきなのだと思います。正解はたった一つではありません。あなたが正解だと決めればいいのです。
あの人が言ってる事もこの人が言ってる事も自分が言ってる事も全部正解。
— かやまっち|伏見醍醐を熱くする男 (@plushome_kayama) 2019年3月26日
ただ言ってる人や聞く時期・タイミングで自分の受け取り方が変わるだけ。
何が正解かなんて分からないだからそんな考え方もありだと思う。#伏見醍醐を熱くする男 pic.twitter.com/0TxBiAN7UP
結局決めるのは自分
生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方という風に考えれば、先ほども話したように、人より頑張ることなんてとてもできない。
あくまでも秤(はかり)は自分の中にある。
それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくを繰り返していく。
するといつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。少しずつの積み重ねしか、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えている。
地道に進むしかない。
進むだけではないですね。
後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあるが、でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。それが正解とは限らない。
間違ったことを続けてしまっていることもある。
でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない。
先日のイチローの引退会見は感動しました。
ボクが特に感銘を受けた部分を抜粋させてもらいました。人はついつい自分の他からの影響を受けて思考が止まり、自分の以外の人と比較して一喜一憂して立ち止まります。
けどイチローは違います。自分自身の中に秤を持ち地道に自分と向き合いながら正解か不正解かも定かでなく遠回りしてでも自分自身を越えてきたのです。
ここから学ぶことは非常に多いのだと思います。
だからこそ「あの人が言っているから」と迎合し同調していてはその人を超えることはできないし結局その人の後塵を拝するだけなのだと思います。
自分だけの山を登りましょう。
誰かの正解が必ずしもあなたの正解とは限りません。
正解なんていうものはそもそもないのかもしれません。たとえ選択を間違えて失敗したとしても失敗から学べるしそれはこれから生きるための大きな糧になるのだと思います。
だから誰かの大きな声に怯えず自分が思うようにやればいいのだと思います。
そうすることで得る納得感がきっとあなたにとっての正解なのではないでしょうか。
#彦根 からおはようございます!
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2019年3月25日
みんながやっているから正しい。そういう時代ではないのだと感じます。正しいとされていることを鵜呑みにするのでなく自分のものさしを持って信念と直感に従って行動する。たとえ失敗したとしても納得感が糧になるのだと思います。#行列に並ばぬ生き方やってみよう
自分で決めて直感で飛び込んできてくれる人をボクらは大歓迎します。
ぜひ4/13はしなやかフェスin高知へ。
そして4/14はゴキゲンフェスin香川へ。
会場でお待ちしております!
今日お伝えしたいことは以上です。
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