イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【思考】行動する人を肯定してみよう|SNSから学ぶ与えるということ

みなさんごきげんよう

11月中旬寒さが日に日に増してきていますがいかがお過ごしでしょうか。
ちなみにボクはまだ半袖で寝ています。ちょっと温度バカになっているイトーちゃんです。

f:id:SOMASOMA0416:20191012135650j:plain

滋賀県在住会社員です


何かを行動を起こして自分を変えたいって人は多いのではないでしょうか。
今回はボクがSNSから得た経験からですがそういう方に伝わればいいなと思い書いていきます。興味がある方は最後までお付き合いください。

 

 

とにかく振り切ってみる

ボクがFacebookを始めたのは2010年頃です。
その頃周りにはほとんどFacebookを使っている人はいなかったのですが、徐々に会
社の同僚や先輩たちも使い始めて友達になっていったのですが主流は近況や家族の話題で日記的な内容が中心でした。
そんな中でボクのFacebookを使う目的がSNSを使いこなすことでそれが仕事につながるようなものにしていきたいというものだったのでいわゆるインフルエンサーSNSで目立っている人の真似をしてみたり積極的にそういう人たちのセミナーに参加したりしました。

そこで学んだ最低限の常識が「毎日投稿すること」だったのでボクは毎日朝早く起きて必死に投稿内容を考えて投稿しました。
そうするとやはり会社の同僚はボクの行動に違和感を感じ始めるんですよね。

あからさまに「伊藤くんのFacebookのいいねの数すごいよなあ」と言ってくる人もいれば自意識過剰かもしれないけれどボクがFacebookにハマってしまっていると嘲笑されていると感じることさえありました。

それまでのボクだったら人にどう思われるかを過剰に気にしてやめていたかもしれません。もちろん悪目立ちしたくないとか会社の上司の目に入ったら嫌だなという気持ちはありました。

でもSNSに可能性を感じていたボクはなりふり構わず設定を「公開」にして毎日投稿をし続けました。今はFacebookの毎日更新はやめましたがTwitterに引き続いています。
それから8年SNSを毎日のように更新していますが、自分にとってはプラスな出来事しかありません。
会社の人には自然とボクが普段見せない人柄が伝わってきているみたいだし、社内でのSNS活用も活発化してきており経験を活かすチャンスも出てきました。
会社員にとっても今の時代はSNSで振り切ることは何らかのチャンスへと結びつく可能性があると思うんです。

 

 

慣性の法則を利用する

では具体的にどうすれば継続しやすいかということを伝えていくと慣性の法則を利用すればいいと思うんです。

物体に外部から力がはたらかないとき、または、はたらいていてもその合力が 0 であるとき、静止している物体は静止し続け、運動している物体はそのまま等速度運動(等速直線運動)を続ける。 これは、運動の第1法則とも呼ばれ、この性質を慣性(惰性)といいます。

(引用:慣性の法則 ■わかりやすい高校物理の部屋■


これって人についても全く同じですよね。

動かない人はずっと動かないもんです。
20代〜30代前半の自分がまるでそうでした。
仕事の忙しさにかまけて不健康一直線の喫煙、暴飲暴食といった生活習慣と仕事が嫌で嫌で仕方なかったというマインド。だけどそれを改善しようともせずに諦めていました。

でも、そこから気持ちを整理してSNSを始めてから禁煙し、ランニングを始め、趣味のサーフィンを再開し、読書で自己啓発し始めました。30代半ばからのボクは等速で動き続けています。

静止状態から等速直線運動にするために大切なこと。それはまず始めの一歩を踏み出すことなのだと思います。ボクはその手段としてSNSを使うことは効果的だと思います。
例えば走り始めると決めたのなら、SNSで宣言する⇨コメントで勇気をもらう、勇気を出して走って結果をツイート⇨コメントで勇気をもらう、マラソン大会に出場することをツイート⇨コメントで勇気をもらう、マラソン完走をツイートする⇨コメントで褒めてもらう。

こんな感じで自分のステップアップに合わせてツイートしていくことで普段からコミュニケーションをとっている人たちは必ず応援してくれるものです。その応援の声をモチベーションにすることで継続しやすくなったり、その行為自体が楽しくなってくるのではないでしょうか。

人は自分以外の誰かが頑張っている姿を見ることが嫌いではありません。自分の無力さをさらけ出しながら徐々に成長していく過程はそれ自体が立派なコンテンツです。

難しく考えず、始めたいこと、続けたいことがあればSNS上で宣言することは効果的です。いい意味で自分を追い込みながら誰かの応援を受けることで圧倒的に継続力は高まるのです。

人の力を借りることは悪いことではありません。それも立派な主体的なSNS活用だとボクは思うのです。

 

 

一歩踏み出す勇気を与えるということ

f:id:SOMASOMA0416:20191116180606p:plain


誰もが最初の一歩を踏み出すときは躊躇するものです。でもその一歩さえ踏み出してしまえば前のめりに進んでいくのは難しいことではありません。

自分が始めの一歩を踏み出すときに一人では難しいと思うことも応援してくれたり背中を押してくれる人の存在ってすごく大きいものです。ボクはある動画を観た時からずっとはじめの一歩を踏み出そうとする人を見つけたときには全力で肯定しようという風に決めました。

その動画がこちらです。

 

 以前はボクも人が挑戦する姿を見ては批判したり小馬鹿にしていたことがあります。「そんなことうまくいくはずがない」
「そんなに甘いもんじゃないよ」
と言うことはとても簡単なことですが、そこには発言への精度や責任感は全くもってありません。
そんなボクはこの動画を観て彼の人を応援する姿勢に感化されました。それからは一歩でも前に進もうとする人を応援することに決めました。

そうやって人の頑張っていることを肯定し始めると自然と自分が頑張ろうとするときに自分が声援を受けます。やはり応援は応援を呼ぶんですよね。否定する人には否定する人が集まるし、肯定する人には肯定する人が集まるんです。

それからもう一つの大きな効用は内なる自分から応援を受けるようになってくるのです。
人を否定ばかりしていると自分自身も動きづらくなってしまうように知らず識らずのうちに縛り付けていくものです。でも人を肯定的に応援し続けていると自分自身を肯定する力がつくんです。

思考がポジティブになれば行動がポジティブになるんです。

どうせならなかなか動けずにいる重い石を動かすテコのような存在になりたいですよね。
それならば誰でもなれることだから。

 

 

  

 

そんな彼のオンラインサロンはこちらから。

yzan.jp

 

【思考】若さとは何か|いつまでも青春でありたい中年が語る

みなさんごきげんよう。今日も大好きなサーフィンができてゴキゲンなイトーちゃんです。波が小さくても天気がいいだけでテンション上がります。

f:id:SOMASOMA0416:20190815154609j:plain

滋賀県在住会社員です

 突然ですがボクは自分の同年代の人よりも若くあるという自信があります。もちろん最近白髪がめちゃめちゃ増えてきているし日焼けした跡はシミになりやすくなりました。そんな風に目に見える変化はあるし、外見的なものを見れば年相応、ひょっとしたら老けてみられてしまうかもしれません。
ではそんなボクがなぜそういう風に自信があるかということを今日は書いていこうかと思います。

 

 

歳をとるほど時間はあっという間に経つ

みなさんはジャネーの法則というものをご存知でしょうか?
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)と主張したものです。
例えば50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1。
よって50歳にとっての1年は5歳にとっての10年に相当するというジャネーさんという心理学者の主張です。

みなさんは最近時間が経つのが早いなあと感じることはないでしょうか。
ボクはそう感じることがしょっちゅうです。
もちろんこのジャネーの法則が言わんとしていることも当てはまるのだと思うのですが、歳を重ねれば重ねるほど純粋に時間を味わうことが減ってきているのではないかと感じるのです。

意識的に時間を味わい、時間を楽しみ、時間に感動するという時間をとらなければ時間はあっという間に過ぎ去っていくっていうことですよね。

時間は誰にでも平等に与えられているものです。これをどのように扱うかによって自分が早々に老け込むのかそうでないかが変わってくるように思うのです。

 

 

身体は心の容れ物

ボクが以前読んだ本の中に「身体は心の容れ物」という言葉がありその言葉をすごく気に入りました。

ボクは7年前まではタバコを1日に1箱半も吸うくらいのまあまあのスモーカーでした。仕事のストレスに耐えるために必要不可欠だと思って吸っていたのですが、生活の中で習慣化してしまい逆に吸いすぎて体調が悪くなりやめることを決意しました。

それによって今度は食欲に逃げることになり今よりも10キロくらい太ってしまいました。
ちょうどその頃母が亡くなり健康について考える機会が増えて痩せることを決意しランニングを始めました。
最初は2キロ走るのも精一杯だったのですがだんだんと走ることに慣れ、平日出勤前朝4時に起きて走ることが楽しみで仕方なくなってきました。

それ以来何か仕事でしんどいことや悩みができるとすぐに走ることにしたんです。
そうすると心がスッキリと晴れやかになりました。
しんどい時こそ体を動かす。
そうすることで今までタバコや食欲に依存していた生活習慣から解放され健康的な思考習慣を手に入れていったのです。

もちろん体型にも変化が現れ始めました。
すっかりビール腹になっていたお腹も元より締まり、体脂肪率は30代半ばにして6%にまで低下しました。

これはますます自信につながり自分の心を前向きにさせてくれました。

 

 

いつまでも青春でありたい

f:id:SOMASOMA0416:20191113183033p:plain


ボクが好きな詩でサムエル・ウルマンの青春の歌というものがあります。ご存知の方もいらっしゃると思いますが紹介したいと思います。

青春  

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。

バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気。
易きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うとき はじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。

苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓が心にある。

人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき

20歳だろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

 

ボクは実質的な年齢が若さを決めるとは思っていなくて心の態度で若さが決まるのだと思っています。

60歳でも思考が凝り固まらず挑戦し続けたり若者を応援する人はやはり若いと思うし、20歳でも理想や希望を失い諦めている人はやはりオヤジなんだと思います。

そして、その気概は何歳からでも持ち直すことができます。ボクは20代後半の自分を振り返ると今よりオヤジ化していたと思ってますから。

人生100年時代と言われている今、100歳まで生きるとなると40代なんてヒョッ子です。
もう40なんだからと色々な意味で制限をかけるのはまだまだ早いです。

まだ40だしと躊躇なくいろんなことに挑戦したいし、自分の好きなことややりたいことにはケチらずに時間やお金を投資していきたい。

何に時間を使うか、誰に時間を使うのか。

何れにしても大切なのが「ときめき」なのだと思います。

ときめくは「時めく」とも書き良い時期に巡り合って栄えるということだそうです。

 

自分は何に対してときめくのかを考えることがどんな化粧品よりも本質的なアンチエイジングに繋がるんじゃないかと思う今日この頃です。

【思考】忘れたい忘れたくないを叶える忘却曲線の活用法

みなさん、ごきげんよう

最近富山出張は一段落したものの何かと仕事に追われていて立ち止まる余裕がなくなってしまっていたイトーちゃんです。意識していてもこんなもんだから意識していなかったらどうなっていたかと思うとゾッとする今日この頃です。

f:id:SOMASOMA0416:20191109185622j:plain

滋賀県在住会社員です

さて今日は本を読んでいてふと考えた気づきについてです。良かったら最後までお付き合いください。

 

 

エビングハウス忘却曲線

本を読んでいてこんな言葉が出てきたんですが、なんか聞いたことはあるけれど思い出せない。でもこの言葉をドヤ顔して使ってみたいなってことでボクの大好きなwikipediaで調べたんですね。

この一番上のグラフは経過時間ごとの節約率を表している。節約率とは一度記憶した内容を再び完全に記憶し直すまでに必要な時間(または回数)をどれくらい節約できたかを表す割合である。式で表すと

(節約率)=(節約された時間または回数)÷(最初に要した時間または回数)
(節約された時間または回数)=(最初に要した時間または回数)-(覚え直すのに要した時間または回数)
例えば、最初にritを覚えるまでに10分を要し、20分後に覚え直すと約4分を要したとする。この場合、覚え直すのに最初と比べ、6分節約したことになる。すると節約率は 6(節約された時間)÷10(最初に要した時間)=0.6= 60% となる。

また、最初にpekを覚えるのに40回の書き取りを要し、1時間後に覚え直すのに22回要したとする。この場合、最初に比べ、18回分節約したことになる。すると節約率は 18(節約された回数)÷40(最初に要した回数)=0.45= 45% となる。

注意すべき点は、このグラフは節約率を表しているだけに過ぎず、記憶量を表しているわけではないということである。つまり、20個の単語を覚え、24時間が経過すれば、そのうちの74%に相当する15個の単語を忘れている、というわけではないということである。

引用:忘却曲線 - Wikipedia

 

すいません。思い切り文字数を稼いでしまいましたが、ちょっとわかりやすくするために例まで引用しました。


忘却というのは人間に備わった基本的な機能なのだそうです。
人って複雑な生き物で覚えておきたいけれどなかなか覚わらないってこともあるし、忘れたいけれどもなかなか忘れられないってこともありますよね。

今日はそこらへんについてボクなりの対処方法をお伝えしたいなと思います。

 

 

行動することで忘れない

まずは何かを勉強して覚えておきたいことってありますよね。本を読んだりセミナーを受けたりするとすごくためになった気がします。

でも先ほどの忘却曲線からすると1日後には74%、1ヶ月後には79%を忘れてしまうということです。せっかくお金をかけて自己投資したとしても1ヶ月持ったとしてもその2割くらいしか頭に残らないということだそうなのです。

ボクは本は最近では読む時間が減りましたが、今ではだいたい月に2〜3冊です。その昔30代の頃は1ヶ月に7〜8冊の本を読んでいました。でも、もともと20代の頃読書を全くしてこなかったボクは内容が全く頭に入ってこないことに悩みました。

その時にある人にアドバイスをもらったことはインプットをすればアウトプットしなければ血肉にはならないということです。最近ではよく聞く話ですが、ボクはわりかし形から入らないと始められないので全く知識がないままにWordPressで有料のサーバーを使って読書のアウトプットブログを始めました。

途中で回らなくなって辞めてしまったのですがそれが今のボクの思考の幹となる部分を構成しているように思います。

masahiro0228.xsrv.jp

このブログは今稼働していませんが、今でもサーバー代を払い続けながら時々見返したりしています。30代の自分の思考って浅いなって苦笑しながらもあの時はこんなふうに考えていたんだ〜って自分史を紐解くようでなかなか楽しいものです。

こうやって何かを覚えたい!自分の血肉にしていきたい!って思うならばアクションを起こすのがオススメです。
ボクは費用対効果を考えるタイプなので、せっかく1500円を出して本を買ったのならばアウトプットしないともったいないっていう気持ちから読書ブログを始めましたが、更新していない今でも本を一冊読んだらその中から一項目でも自分にできることを実践するようにしています。

それによってフックにかかることはずっと潜在意識の中に残るのだと思います。

 

 

忘れたいことは忘れよう

忘れたいことがある場合は、ボクは徹底的に忘れるようにします。今日ツイッターで誰かが言っていたんですが、悩みの根本にあるのは将来への不安と過去への後悔しかない、だからこそ今を生きることが大切なんだよってことです。

本当にその通りだと思っていて、嫌なことを忘れられずにいるっていうことはエビングハウス忘却曲線に対して逆の行動をとっていることになるのです。つまり先ほど話したように忘れないように「考えてしまう」というアクションをとっているからです。

ボクは嫌なことがあったらすぐに忘れます。一時的にネガティブな気分になって色々と考えることはむしろ良いことです。
だって前を向くためには一度自分と向き合って反省したり課題を発見することってすごく大切なことですから。

それをずっとくよくよと考えて前に進まないことは費用対効果を考えるボクからすると時間に見合う価値がありません。一度自分と向き合って前を向けたら本当にそんな時間は必要なくなります。

もしもそんな風に簡単に忘れられない…って反論がある人がいるのならばその人はネガティブを無理やり自分から追い出しているのではないでしょうか。ネガティブな要素は追い払ったとしてもいずれ必ずひょこっと顔を出してきます。

だからこそ自分の中にネガティブの居場所を与えてあげることが大切なんです。それは自分自身の心の安全基地にもなるし自己肯定感にもつながることなのです。

そうすれば無理やりに忘れようとしなくてもそのうちに消えて無くなるものです。ぜひ騙されたと思ってやってみてください。

 

 

忘れられない人でありたい

f:id:SOMASOMA0416:20191109185756j:plain


承認欲求がどうたらという以前にボクは簡単に人に忘れられない人でありたいと思います。忘れられない人というのは「忘れたくない」と人に何らかの行動を起こさせる人なのだと思います。

特にSNSにおいては名言や良いことをいう人や批判や誹謗中傷ばかりする人は代替が効くしそのツイート自体は覚えていても人を覚えることはまずありません。ではどういう人が忘れられないのかと言えばやはりその人自体の物語がしっかりと見えてくる人であり人柄がしっかりと伝わってくる人です。

 

今ボクの周りは割とそういう人で溢れています。類は友を呼ぶと言いますが「忘れられない人でありたい」という思いは同じような思いを持つ人たちを引き寄せるのだと思います。

yzan.jp

ボクが入っているオンラインサロン。

忘れられない人が非常にたくさん所属しているコミュニティです。興味があれば是非のぞいてみてくださいね。

 

【SNS】リスクはクスリ|SNSによってもたらせる恩恵を逃すな

みなさんごきげんよう

早くも11月、そろそろ年末が視野に入ってきてぞっとしているイトーちゃんです。

みなさんはいかがでしょうか?焦ってきませんか?

f:id:SOMASOMA0416:20191102214805j:plain

滋賀県在住会社員です

今日は先日あった嬉しい出来事とそれについて感じたことを書いていこうと思います。よろしければ最後までお付き合いください。

 

SNSつながりの友人に誘われる

昨日は鳥取に住む友人であるたなべっちから京都に出張に来るから一緒に飲みませんか?というお誘いを受けました。もちろん断る理由もなく休暇を取り夕方から楽しい時間を過ごさせていただきました。

f:id:SOMASOMA0416:20191102220312j:plain

この幸せそうな表情w

たなべっちとは3年ほど前にとあるマーケティングセミナーで知り合い、その後SNSでのコミュニケーションで親交を深めて今年2月の鳥取ラソンに一緒に出場しました。

鳥取県庁のスポーツ課で地域のスポーツ振興や海外からの合宿誘致に尽力されているんですが、鳥取ラソンを走られるということで少しはボクのツイートが彼の背中を押すことになったようで彼の初マラソンに一緒に参加させていただきました。

そんな縁もあって昨日は大いにお酒の席でも話題に事欠くことなくあっという間に時間が過ぎていったのでした。よく考えたらまだ3〜4回しか会ったことない人なのにまるで旧知の仲のように会話が盛り上がるのです。実際毎日顔を合わせている会社の同僚でもここまで一緒に飲んでいて楽しい人はなかなかいないのが実情です。

本当に不思議な話です。
 

  

自分を出せば出すほど近い人を引き寄せる

それもこれもSNSが今の時代にボクらに与えてくれている恩恵だと思うのです。
SNSのない時代に若き日を過ごしたボクらは余程の行動力のある人でない限りは、家族・会社の同僚・地元の友人といった生活の行動圏内の人としか出会うことは滅多にありません。
どうしても自分自身の行動範囲や思考の幅も拡張することはなく、井の中の蛙大海を知らずでいつの間にか歳をとっていくというものでした。それで安心だし、安定するのであればそれでもいいと思っていたのがつい15〜20年ほど前の自分です。

でも、今の時代は誰もが自分の価値観や思考過程を発信できる時代です。
自分自身を包み隠すことなくさらけ出していけばいくほど発信を見る人からの信用は積み重なり、自分自身のパーソナリティが認知されていきます。
だからこそ、その発信に共感してくれたり、同じ「好き」を持つ人が親近感を持って近づいてきてくれたりします。 

SNS時代のネットはまさにリアルです。でも未だにSNSは所詮ネットの世界と割り切っている人も周りには多いのが実情です。自分をよく見せようと飾れば飾るほどリアルで信用を裏切ることになるのにその呪縛から逃れられない人も多いのだと思います。

もっとリアルな自分を出していくことでよりリアルに自分にフィットする人を引き寄せることができます。きっと誰も完璧な人なんて求めていません。

ボクが好きなのは今は不完全で時々はネガティブな発信があるけれど着実に前を向いて頑張っている人です。そして自分自身もそうありたいと思うのです。ボク自身不惑の40代に入ってもまだまだ惑っているし前を向いて進む年下の仲間に希望を見い出すこともしょっちゅうです。
でも、40代だからって下手に大人ぶらず、まだまだ未熟な自分を惜しげもなく出していきたいし、それでも付き合ってくれる仲間と付き合いたいと思うんです。

 

 

 リスクはクスリ

 何かの投資関連の書籍で読んだんですが「リスクはクスリ」という言葉がありました。人間は現状維持バイアスを持っており、本来は変動するところに価値が生まれるものであるのに「何もしなければ安全だ」という思考が働く生き物だそうです。

クスリは病気に対しての効き目がありますが、同時に副作用というリスクも持ち合わせています。要するに安全の中にも必ずリスクは付きものだということです。

SNSについて多くの人が感じているリスクは、実名や顔出しで自分を発信することについて見られたくない誰かに見られてしまうということでしょう。そして、そんなリスクを取るよりは、匿名で顔を伏せて気楽に言いたい放題に言える方が安心できるという思考が働いているのではないでしょうか。
でももしフォロワーとの関係をリアルにつなげるとして、匿名で顔もわからない言いたい放題に言っている人を誰が信頼することができるでしょうか。結局は周りの目を気にしてSNSに時間ばかりを奪われることになるのです。

もしも、価値観の近いリアルなつながりを求めるのであれば、覚悟を持って自分を出して発信しなければ難しいでしょう。ここで不確実性や変化を受け入れることが大きな価値になりリターンは生まれるのではないでしょうか。

 

 

 

属するコミュニティで成長度合いは飛躍的に上がる

f:id:SOMASOMA0416:20191102230759j:plain


顔出ししてリアルに発信し始めればコミュニティに属することでさらに自分自身を成長させることができます。

ボクが所属しているわいざんおもしろマーケティング組合というコミュニティはまさにリアルです。有名人が主催しているオンラインサロンみたいに主催者であるカリスマ的な人が引っ張っていくタイプのコミュニティではなく、主催であるわいざんが行動しようとする未完成の人たちの背中を押すことでメンバーそれぞれが主体性を持って動き出す過程がしっかりと見られるコミュニティです。

そこには同調圧力もなければ馴れ合いもありません。みんながわいざんの提案に対してそれぞれに主体的に行動するんです。誰もが強迫観念なく動くのが見ていてとても刺激になるのです。 

yzan.jp

 最近こちらのサロンでも話題の音声配信アプリ「Radiotalk」ですが、メンバーが次々と配信を開始して30人近くが番組を持っています。(ボクは挫折しましたw)

そんな感じで行動しようとする人を全肯定して背中を押してくれるオンラインサロンでここには本当にいい流れが起こっているように感じるんですよね。

もしもSNSを自分を成長させるためのリアルなコミュニケーションの場にと考えている方にはオススメしたいコミュニティです。

 

オンラインサロン入会はこちらから

yzan.jp

  

【思考】声の大きな人に委ねるのはもうやめよう|決めるのは常に自分自身

みなさんごきげんよう

12月には大阪マラソン、2月には京都マラソンと冬場は都市マラソンざんまいのイトーちゃんです。

f:id:SOMASOMA0416:20191027163958j:plain

滋賀県在住会社員です

今日はランニングに関してのTwitterのやりとりの中でのやりとりからの気づきについてお伝えしたいと思います。

 

こちらの記事も合わせて読んでもらえると嬉しいです。

www.ito-chan.net

 

 

とあるツイートのやりとりから

 ボクはランニングを継続したいけどなかなか一人では続けるのは難しいという自分自身の経験からmapmyrunというアプリを使ってランニングを始めたばかりのTwitter仲間を誘って交流しています。

その中で北海道蘭越町の農家のお嫁さんタムタムは農家と町会議員という二足の草鞋を履きながらもその忙しい時間の合間を縫ってランニングを頑張っています。ボクも彼女の投稿に刺激されて怠けた時には自分を叱咤することもあるくらいです。

その彼女が投稿で知らせてくれたのはメンタリストDaigoさんのYouTubeでした。ボクも実は昨年拝見してへーそうだったのか!と若干驚いた内容でした。

テキストのものもあるので良かったら読んでみてください。

daigoblog.jp

そう、タイトルが結構衝撃的だと思うんですが、ザクっと言うとランニングをしてもいいことはないからやめといた方がいいよという内容です。

目次の抜粋です。

  • 長時間の有酸素運動は老化を促進する
  • 45分以上の有酸素運動はおすすめしません
  • ランニングするくらいならウォーキングをする方がいい
  • 脂肪ではなく筋肉が消費される
  • 運動は日常生活での代謝を高めるために行う

科学的なエビデンスを踏まえてのことですので全て内容は的を得ていることです。でも太腿などの大きな筋肉が鍛えられて代謝が上がったり、気分が晴れるのでストレスによる過食を抑える効果があったり一概にランニングが痩せないとは言えないのではないでしょうか。

ボクは7年間走っていますが、一時は体脂肪率は6%まで削減できたし、体重はランニングによって調整していますし、40歳を越えた今でも維持しています。

同世代の男子よりも体内環境や外見も決して老化しているとは思いません。Daigoさんが、ランニングを熱心にしていてその上でこのエビデンスをもってランニングを否定するのであれば納得ができるのですがタイトルがあまりにも過激で少し残念さを感じます。

  

 

声の大きい人の言葉を鵜呑みにしないほうがいい

もちろんボクは主観的な見解でですが、ランニングは精神上身体上の健康のためにいいと思っています。

ただ、この記事を読んでランニングに対して悪印象を持った人はどのくらいいるのでしょうか?

ましてやYoutubeチャンネル登録者数170万人のDaigoさんが「ランニングは痩せないし老化する」と言えばどのくらいの影響力があるのかは計り知れません。

ボクはメンタリストDaigoさんはこの記事を読む前も読んだ後も大好きで時々Youtubeも拝見したりしています。本当に時事問題なんかに物申す時なんか切れ味が鋭くてすごく爽快なんですよね。

今のご時世インフルエンサーというのは本当に世論を動かすくらいの力を持っているのだと思います。だから、有名人だからとかみんながいいと言うからという理由だけで、彼らのいうことを鵜呑みにすることは非常に危険だと思います。

あくまで自分自身でも調べてみる努力をしてみることが大切なのだと思います。

メンタリストDaigoさんはよくYoutubeの中でマスコミを徹底的に批判されています。でも彼も人間です。影響力という神器はいつか人を傷つける凶器にすら変わる危険性を持っているのだと思うのです。

 

 

最後の最後決めるのは自分で誰かではない

f:id:SOMASOMA0416:20191027175139j:plain


有名な誰かが言っているから間違いないという思考はかなり危険なのだと思います。それは判断のものさしを自分の外側に置くことに他ならないからです。誰かがいうことに従い、何かに挑戦しないことは自分が何もしないことに対する言い訳になってしまうのです。そんなことでは絶対に成長はあり得ないのだと思います。

今回タムタムがランニングを捨てないということを自分で決めてくれたことをボクはとても嬉しく思うしタムタムの決断に賛辞を送りたいと思います。

大丈夫、ランニングと筋トレを組み合わせればきっと浮き輪は外れるから。

 

 

【思考】今ある時間は永遠ではない|濃度の高い人生を生きるための指針

みなさんごきげんよう

この1ヶ月かなり仕事に追われていて少し自分迷子になっていたイトーちゃんです。

f:id:SOMASOMA0416:20191006170014j:plain

滋賀県在住会社員です

やっぱ忙しくなると自分が見えなくなるなあって反省していた今朝です。そんな中で一旦立ち止まることを意識的にしなければならないと感じています。

今日はその時間というものについて書いていこうかなと思います。

 

 

 

多くの災害から感じること

多くの人の命を奪った東日本大震災をはじめとする地震による被害、先日は多くの河川を洪水させるくらいに猛威を振るった超大型台風。

日本列島を襲う自然災害は年々凶暴さを増しているように思えます。そういう災害による被害がテレビやSNSで流れてくるのを見るにつけ明日は我が身と危機感を感じるのはボクだけじゃないのではないでしょうか。

本当にいつ自分の街が浸水被害に合うかもしれないし、津波によって飲み込まれるかもしれない。そんなことばかり考えていたら前向きには生きられないかもしれないけれども、そのように考えざるを得ないほど定期的に大自然は猛威を振るってきます。

ボクは元来は非常に楽観的な人間ですが、ここ数年に起きた身近な人に降りかかる災害を見るにつけ心を痛めています。

ボクらはどんなに一生懸命に生きようと思っても自然の前にはあっけなく命を奪われることもあるのです。

 

 

自分の時間の濃度を上げる

そんな不確定な人生の中で、ボクらはできることをできる時にするしかないのだと思うのです。生きたいと願えど生きられない人はこの世にごまんと存在するんです。

人生に指針を持たなければ、何も思うことなく、何も残すことなく命を落とすことがあると思うと本当に恐ろしいものです。

ボクが尊敬する著者にジョン・キムさんという方がいます。この方の「媚びない人生」という著書がボクに大きな指針を与えてくれています。

重要なのは、瞬間に対する緊張感を持ち、瞬間を刻むことなのだ。時間の長さではなく”魂”の濃度をもって時間の濃度を限りなく高めていく。この瞬間に全てをかけるということこそ、生きる人の権利であり義務である。このことがわかった瞬間、くだらないこと、つまらないことには目は向かなくなる。

人間の生きた価値とは、どれほど長く生きたかではなく、どれほど濃度の濃い人生を生きたか、によって決まると私は思う。図式にすると「濃度×長さ=人生の価値」になる。社会の流れに沿って、集団の空気を読んで、順応的に生きることが自分が目指す生き方ではないはずだ。人間は人生のある時点で、自分の志や良心という尺度で人生を生きていくことを決意する必要がある。また、時に自身の尺度が社会や組織の尺度とぶつかり合うことあろうが、その時は自身の尺度を優先さえる気概も持たなければならない。 

 

瞬間に対する緊張感。これについては意識しないとボクらは日常の「忙しさ」の中で感じることができなくなってしまいます。

ただただ流されて今日は忙しかったと振り返る毎日よりも、今日はこんなことがあるから楽しもうと自らを奮い立たせたり励ましたりしながら今日という一日を過ごし明日はこんな風にしたいと省みる日にしていきたいものです。

そうすることで一日の濃度は高まり、生きているという実感とともに一日を終えられるのだと思います。

 

 

今ある時間は永遠ではない

f:id:SOMASOMA0416:20191022230519j:plain


 ボクは若い頃は時間に支配される人生を送っていました。大人になったら働かなければならない。社会人は自分の時間を犠牲にしなければならない。社会の要請に応えて常識をわきまえなければならない。そんな自分自身の固定観念や周りの目ばかり気にして強迫観念に抑圧された人生を送ってきました。

でも、それを大きく変えてくれたのは最愛の母の死でした。

ボクの母は割と世間体を気にするストレスを溜めやすい性分でした。何かと抱えるものも多くそのストレスが病を生んだのではないかと今思えば感じるのです。

その母の死が無言で遺してくれたのは、ボクに人生に対する向き合い方を変えよという指針でした。母の死を機に自分は自分らしく、そして自分の人生に対して全責任を引き受けるように生きようと思いました。自分の人生を楽しむ、そして悔いのない人生を送ろうと思いました。

忙しさにまみれておろそかにしていた自分自身の健康について見つめ直し、タバコをやめ運動を始め、仕事に逃げることなく自分の時間と向き合うことを始めました。

母が遺してくれたものはあまりにも偉大でした。ボクはあの時のボクとは全く別人のように息を吹き返したのです。

もっと時間に濃度を持とう。それを20代のボクに伝えてあげたい。

でも、時間は戻りません。これからのボクはボクの人生の濃度を高め続けていこうと思います。願わくば長く生きたい。叶うならこれからの人生を大好きな人たちと大好きなことをしながら濃い時間を過ごしたいものです。

 

【思考】主体性があれば大体は解決する|社畜になり下がらない生き方をしよう

みなさんごきげんよう

日曜の昼下がりいかがお過ごしでしょうか?

4日間の富山出張を終えて若干お疲れ気味のイトーちゃんです。

f:id:SOMASOMA0416:20191002204842j:plain

滋賀県在住会社員です

 

今朝ランニングしながら考えていたこと。それは「会社員=社畜」と捉える人のマインドというのは生きることにおいて全てを強迫観念として捉える人なのではないかということです。
これは偉そうにいうつもりはなくてかつては自分も陥っていたマインドだからということです。

今日はそんなことについて書いていきます。良かったら最後までお付き合いください。

こちらの記事も合わせて読んでもらえると嬉しいです。

 

www.ito-chan.net

www.ito-chan.net

 

 

 

強迫観念よりも願望を優先する

少し話は変わりますが、ボクはランニングを始めて約7年になります。元々はタバコをやめて食欲が増して体重がみるみる増えて今より約10キロも太ってしまったため「痩せなければ」という強迫観念によって始めました。
始めた頃は出勤前に1時間早く起きてランニングをすることが苦痛でしょうがありませんでした。このまま苦痛に終わっていたら数日と保たずに辞めていたことでしょう。
ラッキーなことにボクは日を追うごとに距離を伸ばしていけることに自分自身の成長を感じ、季節を楽しむ悦びや自分と向き合う時間を得ることにランニングの素晴らしさを感じていました。
そんなボクがフルマラソンに挑戦するフェーズに入った時にはすでに「時間をこじ開けてでも走りたい」という風に考え方が一変していました。
これは何にでも当てはまることだと思うんですが、目的が強迫観念からくることであればどうしても「ねば」が入り、パフォーマンスも落ちてきます。それに対して目的が願望からくるものであれば「たい」が入りモチベーションが高まりパフォーマンスも高まるんです。
だから、何かを始めるときは「自分がどうありたいか」という願望を一番頭において主体的に始めていくことが大切なんですよね。

 

 

 

社畜マインドセット

話を戻して、「会社員=社畜」と捉える人のマインドですがこれはやはり働くことを強迫観念で捉えている人のマインドセットだということです。
「収入を得るために働かねばならない」。
こう考え始めると確かに働かなければ収入が得られず、まるで自分自身が奴隷のように感じられてくるのもわからなくはありません。
しかしそういうマインドセットを持つ人は仕事だけでなく私生活でも同じように強迫観念で捉えるのだと思います。
「週末は家族サービスせねばならない」。
こう考えてしまうと自分自身を誰かが築いた家族観というものに当てはめて奴隷のように感じてしまうのかもしれません。(ちなみにボクは家族サービスという言葉が大嫌いです。)
なにごとでもそうですが物事を主体的に捉えず、強迫観念に毒されて暮らしてしまうと幸福感とは程遠い人生になってしまうと思うのです。

 

 

 

人はいかなる環境であっても自分で作れる

30代前半まではボクも社畜だったのだと思います。何ごとも主体的に捉えることができず、自分の選択で選んできた道なのに本気になれず飲み会では会社や上司の愚痴ばかり。
そんなだったから自分の生き方にも自信が持てず、ボクの20代から30代前半という時期は誰にも誇れるような会社員生活ではありませんでした。
30代前半の頃、ボクは最悪の労働環境下にありました。なんとも結果が出すことが難しい前例のないことを始めるプロジェクトに配置された頃でした。
朝から夜遅くまで休日も潰して働いていたのですが、当時の上司は上にへつらい部下への当たりがかなり強いタイプでした。その上司の叱責や罵声で心底疲れ果てていました。ボクは自分で自分のことを精神的に強い方だと思っていたのですが、そのボクもそろそろヤバいという自覚がありました。
当時今ある職場から降職することは「ケツを割る」と呼ばれて不名誉なことでした。そして、自分なりにそれなりにレールに乗っているという変なプライドだけはありました。
しかし自分の心と向き合い、人事課へ駆け込み降職を願い出て上司のパワハラを告発したのです。
それでも会社はボクのことを決して見捨てることはありませんでしたし味方になってくれました。
降職を願い出たら会社人生なんて終わりだと思っていたのは自分の思い込みだということに気づいたのです。
今もし不遇な環境で会社員生活を送っている人に伝えたいのはただただ我慢することだけはやめたほうがいいということです。我慢しなくても選択肢はあるし環境は自分自身で選ぶことができるんです。

 

 

 

だいたいのことは主体性があれば解決する

f:id:SOMASOMA0416:20191020155142j:plain


結局のところは、今周りにある多くのことは誰かが築き上げてきた正論であったり常識だということです。今のような変化の激しい時代でそれにとらわれるということはナンセンスだということです。
おそらく「会社員=社畜」というマインドセットをする人はその感覚が欠如している(というか気づいていない)のです。今の時代会社も「人」に注目していることは確かでコンプライアンス働き方改革というものも会社員には追い風なのだと思います。
もちろんただただゴネろと言っているのではありません。与えられた持ち場で一生懸命目の前のことを頑張ることがとても大切ですし、そこで主体性を発揮して自分の仕事に対して誇りを持ち充実させることが生きる歓びにつながります。決して仕事は収入を得るためだけにあるものではありません。
人生の大きな柱である仕事の時間を主体的に過ごせるようになれば、家族との時間や自分が趣味に使う時間をも主体的に使えるようになってきます。

何ごとも考え方次第。同じ生きるなら主体的に生きると充実してくるよってことが今日お伝えしたかったことです。