イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【思考】人の縁について考える|映画「この世界の片隅に」から思うこと

みなさんごきげんよう

ここ数日気温がえらく高くなってきていて早くも夏バテ感を感じているイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

みなさんも体調管理には気をつけなはれや。

 

さて、先日アマゾンプライムビデオでようやくズーーっと観たかった映画「この世界の片隅に」を観ることができました。今日はそこからの気づきをつらつらと書きたいと思います。

今日のお題です。

 

観たかった「この世界の片隅に

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出典:この世界の(さらにいくつもの)片隅に【映画】

 

ふわっとした性格の女性すずが少女時代に運命的な出会いをした周作の住む呉市に嫁ぎ、戦争を経験しながらも徐々に強さを身につけながら悲しみを乗り越えていくという感動作品です。

 

2年くらい前かなあ。SNSを通して呉に友達ができました。その友達がものすごく地元呉を愛しているので仲良くしていたボク自身も呉のことが知らず知らず大好きになっていました。

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呉にてTwitterでつながった友達と

全く今まで縁もゆかりもなかった呉という土地なのですが、SNSを通して彼のその人柄と大好きな地元呉の街を発信するひたむきさに惹かれて思わず滋賀県からはるばる呉まで足を運びました。それも年に二回もです。

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呉といえば呉海自カレー

その友達に案内してもらった呉海自カレー。これも絶品でした。呉に停泊する艦や艇で実際に金曜日に振舞われているカレーを再現し体験できるお店がたくさんあり舌鼓を打ちましたがどれも絶品でした。

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呉は美しい港町

かつては軍港として日本でも屈指の人が集まる中核都市の一つだった呉の町。今は落ち着いた雰囲気の海自の港町となっていますが造船所などが集まり非常にロボティックなイメージの町ですが山と海に囲まれた自然豊かな美しい町です。

そんな風にとても馴染み深い町だったのでそこに描かれている風景がすごくリアルに感じられるものがありました。

その土地に思いを馳せることでよりこの映画への没入感が高まります。ぼーっとした性格で何をするにも受動的であったすずが「私が笑顔の容れ物になる」と誓うほどまでに主体的で強さを感じるまでに成長する過程にも心動かされるものがありました。

 

この世に当たり前なんてない

この映画についての論評や感想についても色々検索してみましたがボクが読んだ記事の中でこの記事が良かったので紹介します。

ironna.jp

その中で特に同意した内容について引用します。読んでいてめちゃめちゃボクの感想にもリンクしていたので思わず頷いてしまいました。

こう考えると、戦後営々と続けられてきた「平和教育」の高らかな叫びは、何万回を費やしても無意味だったのかもしれない。そしてその空疎な掛け声は、「他者性」を強調するがあまり、『この世界の片隅に』の2時間を超克することはできないのである。幾万の「反戦」「平和」を叫ぶより、『この世界の片隅に』を観よ。私が言えることはそれだけだ。

 

片渕監督へのインタビューで彼は私にこう語って下さった。「―もしかしたらすべてのことや人生に意味なんてないのかもしれない。でも、意味はあると思いたいじゃないですか」。私もそう思う。少なくとも私が『この世界の片隅に』にリアルタイムで出会ったことには、意味があると思う。そしてこの作品が、2016年という、戦後50年とか60年とか、別段イベント的時代の区切りとは全く関係なく登場して、そして大ヒットしたことにも、何か人類史的な意味があるはずだ。その総合的解釈は、後世の子々孫々に任せよう。いまはただ、『この世界の片隅に』の感動に打ち震える段階である。

 平和教育を何万回受けるよりもこの映画を一度観た方がいいというのは本当にそうだと思う。あたりまえと思っていた日常が奪われ非日常が日常になる。それが戦争の残酷な部分なのだと思います。

令和の時代になり、戦争についての語り部が少なくなっている中で本当にこの作品の意義はこれからどんどん深まっていくんじゃないかって思います。

もちろん戦争だけが世の中のあたりまえを覆すのではありません。東日本大震災を始め災害が多くの人のあたりまえを奪っていったし、交通事故もあたりまえに家に帰ってくるはずの我が子が帰らなくなるという悲劇を生みます。

だから、ボクらは今ここにある「あたりまえ」に感謝を贈る必要があると思うんですよね。どんなに忙しくても立ち止まる機会を持って今ここにある「あたりまえ」が本当は当たり前ではないということを認識しなければならないと思います。

 

人とのご縁を大切にする

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そして、ボクがこの映画のなかでいちばん響いた言葉がこの言葉です。

この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう

 終戦後、家族を探して町を歩いていたすずが帰還した周作に対しての一言なんですが、ただただ周作だけに向けた言葉ではなくもっと広い意味があるように思えてなりません。

彼女にとっては呉に嫁いだから大切な姪っ子を亡くしてしまい自らも負傷してしまったということも言えると思いますが、呉に嫁いだからこそ原爆の被害から免れたということも言えると思います。運命って色んな偶然の積み重ねで本当に奇跡なんだって実感します。

 

ボクもSNSで人とつながり始めてから縁というものをすごく意識するようになりました。自分自身が主体的に動くことで縁はどんどんつながっていく。行くはずもなかったところに行ったし、出会うはずもない人に出会う経験もしてきました。

昨今SNSは承認欲求だとかSNS疲れだとかバカッター騒ぎだとか負の側面ばかりが注目されていて「良くないもの」「危険なもの」という印象を持たれがちですが、ものごとの負の側面だけを切り取って伝えられたことを妄信しない方がいいと思います。

主体的にその正の部分を受け取りにいった方が確実に機会は得られます。SNSの正の部分は確実に人とのつながりを紡いでくれることです。今の時代に生きるボクらはこの恩恵を最大限に活かした方がいいです。

 

SNSがボクにくれた縁はマジ宝物です。

だからボクはつながってくれている全ての人に言いたい。

 

この世界の片隅にボクを見つけてくれてありがとう」 

 

 

 

呉の町が舞台の映画が来週公開されます。

kuboibuki.jp

それにちなんでボクの呉の友達が仕掛ける呉海自カレーからコラボ商品が発売されています。全国のローソンで発売中です。ぜひ呉海自カレーの美味しさをご賞味ください。

www.lawson.co.jp

 

今日お伝えしたいことは以上です。