みなさんごきげんよう。
だいたいは5〜6冊くらいは積ん読在庫しているイトーちゃんです。
滋賀県在住会社員です
今読んでいる本は西野亮廣さんと堀江貴文さん共著の「バカと付き合うな」です。
この本めちゃめちゃ読みやすくてスイスイ読み進めちゃうんですよね。
さて今日のお題目です。
「バカと付き合うな」を読んでいてハッとした部分
この本はいわば世の中に多数存在するバカと呼ばれる人種について西野さんと堀江さんが挙げていきながらバカにならないようにそしてバカと付き合わないようにするための手引書です。
その中でも特に気になった章が西野さんが書いている「善意なら何でもありのバカ」という章です。
そこにある例が超絶面白かったので引用させていただきます。
むちゃくちゃ風が強い日に、自転車が倒れまくっていました。そのまま通り過ぎようと思ったのですが、あるおばちゃんが、倒れてる自転車を片っ端から立たせていくんです。で、ぼく、さすがにガマンできなくなって、おばちゃんが立たせた自転車を片っ端から寝かせていったんです。
だって風はまだやんでないじゃないですか。この状態で自転車を立たせたら倒れますよね。次に倒れたときに、当たりどころが悪くて壊れちゃうかもしれない。
おばちゃんは、自転車が壊れるチャンスを作っているんです。
そしたら、めっちゃ怒られたんですよね。「あんた、なにしてんの!」って(笑)。もう面倒臭いからごめんなさいって言って逃げてきたんですけど。
ようは、「自転車を起こすことはいいこと」っていうのが、おばちゃんの中で完全に定式化してしまっているんですよね。どんなに合理的に説明しても、理屈の問題ではなくなってしまっている。なぜなら、おばちゃんの中でそれは善だから。つまり、善というのが、思考停止をする口実になってしまっている。「これはいいことだからいいんだ!」みたいな。
善意ならなんでもありなのだろうか
このおばちゃんの行動を見たらボクはおそらくおばちゃんを賞賛していただろうと思います。
むしろおばちゃんだけにやらしていてはと自分もおばちゃんを手伝って自転車を起こそうとしていたと思います。
ボクはまだまだ考えが浅いのだとこのくだりを読んで思いました。
一見したところのおばちゃんの「善意」をなにも疑わずに「善意」で持って助けようとしていたのです。
でも、ここにある問題提起によってボクはハッとした。
風が吹いている段階で自転車を起こせばまた倒れて壊れるリスクがある。
そういう視点を持ったときには、この「善意」の行動は途端に自転車の持ち主にとって優しくない行動に変わってしまうんですよね。
これこそ物事の本質に気づかずに、目に入った「善意」という煙玉によって目くらまされた人に迷惑を押しつける行為になってしまうんですよね。
最後に西野さんはこうまとめます。
空回りした独善じゃなくて、ちゃんと人のためになる独善になるように。思考停止しないように。なぜなら、それだけ善は怖いものでもあるからです。
大切なのはいかなる時も理性を働かせることなんですよね。
結果的に誰かのためになっているのかってことを考えての善でなければそれこそただの自己満足になってしまいます。
人の役に立たない自己満足ほど意味をなさないものはないとボクは思います。
本当の優しさとは何なのか思考停止せず考える
良かれと思って。。
そういう言葉で人を傷つける人をたくさん見てきました。
そして、自分自身もそうやって人に優しくないことをしてきたという自覚はあります。
その時のことを思い出すと本当に申し訳なかったなと。。
善意の行為が人を傷つけてしまうことほどの悲劇はないと思います。
こういう場合明らかに行為をする人の思慮が足りないことから起こることなのです。
善意という免罪符によって相手を傷つけることはあってはなりません。
それはボクもたくさん失敗して学んできたことだからです。
多くの場合、善意というのは社会通念や常識という今までに自分以外のエライ誰かが築いたものから生まれているのだと思います。
だから多くの人はそれを漠然と信じ受け入れ、そういう行動をとろうとします。
相手のことやそれによってどんな影響が自分の周りに起こるのかを想像することなく。
そして「誰かのために」と行動して賞賛されなければ失望して拗ねるのです。
でも、やはり主体的に考える人は違うのだと思います。
全てを自分のためにと思い行動して誰かに期待したりしない。
とことん自分のためにと思うことで人への過剰な期待が起こりません。だからそれがそのまま思いやりという形で伝播するのです。
常に誰かが喜ぶことを考えて相手の気持ちに寄り添う想像力を備え持った人が本当の意味で優しい人なのだと思います。
ボクもまだまだだけれどそういう人でありたいと思います。
#彦根 からおはようございます
— DJイトーさん(イトーちゃん) (@SOMASOMA0416) 2018年10月15日
誰かとつながりたいならば受信しどうすればその人の役に立てるのか想像力を働かせれば良い。逆に発信する人は思わず助けたくなるような余白を作った方が良いのだと思います。それを埋めようとするところにコミュニケーションは生まれます#思いやり余白を埋めてつなぐ縁
さあ受信して想像力を鍛えよう
ボクが属しているわいざんオンラインサロンは参加者全員が受信力発信力を相互に磨きながら全員が想像力を持てることを目指す球体型のコミュニティです。
日々の情報から自分の優しさを磨きたいのであればオススメです。
今日お伝えしたいことは以上です。
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