みなさんごきげんよう。
今週は出張続きでなかなかハードスケジュールなイトーちゃんです。
いつも心には余裕を持っていたい会社員です
さてボクが最近気に入ってるのは「カラーバス効果」という言葉。
みなさんはご存知でしょうか?
「カラーバス」は、「色を浴びる」の意味。
例えば「今日のラッキーカラーは赤!」とか考えながら街を歩いていると、街中に存在する今まで意識したことがなかった赤いものが目に飛び込んでくるようになります。
そのように、意識していることに関係する情報が、無意識のうちに自分のところにたくさん集まるようになることを、カラーバス効果といいます。
出典:Yahoo!知恵袋
最近ボクの中でTwitter上ではカラーバス効果が頻繁に起こっています。
今週はツイートで目にしたある記事から「優しさ」ってことについて考えさせられました。
そしたら関係性の近い人から立て続けに「優しさ」について関連性のあるツイートが目に入ってきました。
今日のお題目です。
相手への期待は捨てよう
「つい優しさの見返りを求めてしまう」 そんな人へのアドバイスに共感の声続々! https://t.co/OZkj18qrrX @grapeejpより
— 人活(ひとかつ)さんのあたまのなか (@hitokatsu35) 2018年10月23日
内容を要約すると…
- 性別問わずつい相手に「優しさの見返り」を求めてしまう人がいる
- 優しさの本当の理由は自分がそうしたいからということ
- 「相手のため」でなく「自分のために」やっていると思うこと
人のためにと親切なつもりでやった善意の行動も見返りを求め相手に期待しすぎると期待通りの反応がなかった時に裏切られたかのように思ってしまいます。
でもこれって元はと言えば自分が蒔いた種で相手への期待感でなく自分がやりたいからやるというスタンスでいれば決して心がざわつくことはないんですよね。
多くの人が「誰かのため」に行動を起こしているつもりで見返りがなければ失望する。そう意味で最初から「自分のため」という自己満足で優しくすることって大切なのだと実感します。
そして、またシンクロするツイートを発見しました。
ボクが嫌いな人はこんな人。というblogを書いていたら少し話が変わってきました。いわゆる「信用」と「ギャップ」の話です。
— 藤田隆志🌙ゴキゲン (@sentakugokigen) 2018年10月23日
たぶんそんな話になるんじゃないかな。
これもボクのことが好きな人以外は見てはいけないblogとなっております。よろしく。https://t.co/6sXeRsQF9h
要約すると…
- 話を聞いたフリをする人ほど話を聞いていない
- そういう人を嫌いなのでなく期待を大きく裏切られることにがっかりしている
- 落差が大きいほど信用は失いやすい
- 期待するからがっかりするし頭にくる
- 相手への期待で感情が揺さぶられるのは主体性の放棄
相手に対しての優しさを期待に変えてはいけないのだと思います。
ここまでしたんだから感謝して当然だろう。
それは果たして「優しさ」なんでしょうか。
ボクはそれは優しさではないのだと思います。期待の裏返しが失望に変わるのは自分の勝手な感情の変化なんですよね。
逆に知らんがなです。
自分がした行動による相手の反応に心揺さぶられる時点でそれは完全に主体性を失っているのです。それは優しさでもなんでもない。
それであればせめて無事を祈り見守るという方がよほど優しいのではないでしょうか。
批判は優しさの一つ
今日のブログはこんなモノをどうぞ。批判と非難似ているようで、違う言葉。良い批判を受けたらアドバイスと受け取りたい。
— 平岩直樹 ヒラ|指圧師 (@hiran0214) 2018年10月24日
だけど、ただの押し付けは論外です。#はてなブログhttps://t.co/UW9yc5HLNX
要約すると…
- 批判と非難に共通するのは「価値を判断する」ということ
- 批判と非難の違いは「そこに愛があるか」ということ
- 一方通行の非難 双方向の批判
- 批判は歓迎すべきもの
批判と非難についてわかりやすく説明された記事でした。
どうしてもごちゃごちゃに捉えてしまいがちな批判と非難。
そこにある大きな違いは「そこに愛はあるんかい」ってこと。これって納得ですよね。耳障りよく擦り寄ってくるよく人はかえって信用できないことが多いです。
それよりも率直にここはこうした方が良くない?ってことを伝えてくれる人の方がよほど信用できます。
批判をきっかけに自分が素直に反省し軌道修正できる機会になるのであればその批判はものすごく優しいものだと言えますよね。
曖昧な言葉で褒めそやす人よりもしっかりと自分の言動を見て指摘してくれる人って本当にありがたいものです。
悲しさの表現は決して優しさではない
SNSの返信で自分の「悲しさ」を押し付けてくる人に辟易してる。例えばイベントだったら「その日は行けないんです(涙)」みたいなやつね。そんなことでかまってもらおうとするより、プラスの対話はできないものなんだろうか。返信は誰の為にするのか考えてほしい…というお節介を思ってる朝。#yzan思考
— わいざん|全国ツアー準備中 (@yzan_travel) 2018年10月23日
このツイートにはめちゃめちゃ共感だった。
ここに挙げられているイベントへの不参加表明もボクは全く相手のことを考えていない行動だと受け取ります。
イベントを主催しているとわかることなんですが「残念ですいけない(涙)」とコメントされても「お、おん」というしかないんですよね。
本人からすると「自分が参加していないことで迷惑をかけている」という表現の一つかもしれませんが受け取る方は別にそうは思っていないことがほとんどです。
むしろその不参加表明がイベントへのマイナスイメージを植え付けてるというのが想像できないのはツラすぎます。
そういう人は先ほどあったように、自分に期待されているという期待感を背負って相手にも「残念がってくれる」と期待している人なのだと思います。
厳しい言い方ですがそういう人は常に「これが優しさだ」ということを押し付け相手を不快にさせるのだと思います。
(まとめ)優しさは想像力
コミュニケーションは双方向であってはじめて成り立つものです。
絶対に一方通行では成り立ちません。
一方的な発信はただの伝達であり、一方的な受信はただの受容です。
特に重要なのが受信です。
相手の言葉を傾聴して常に相手にとってどうであれば喜ぶのだろうかと想像することがとても大事なのだと思います。
逆に発信する人は相手が自分に対して役に立ちたいと思った時にそれを許容できる素直さと余白を持っていることが大切なのだと思います。
相手に期待をかける優しさは決して本当の優しさではないのだと思います。
見返りを求めず自分が相手に貢献したいという真摯な気持ちで素直に向き合うことと相手の気持ちを想像しそっと寄り添う気持ちが本当の優しさではないでしょうか。
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん1.41421356… (@SOMASOMA0416) 2018年10月15日
誰かとつながりたいならば受信しどうすればその人の役に立てるのか想像力を働かせれば良い。逆に発信する人は思わず助けたくなるような余白を作った方が良いのだと思います。それを埋めようとするところにコミュニケーションは生まれます#思いやり余白を埋めてつなぐ縁
今日ツイートを取り上げたわいざんと藤田さんがなんと11/18(日)我が町彦根にやってきます!!
藤田さんには独自の思考「ゴキゲン思考」の講演会をしていただきます。
今日のこの辺りの話がゆっくり聞けるかもしれません。
どなたでも参加できます↓
詳しくはボクの記事をご参照ください
今日お伝えしたいことは以上です。
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