イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【SNS】リスクはクスリ|SNSによってもたらせる恩恵を逃すな

みなさんごきげんよう

早くも11月、そろそろ年末が視野に入ってきてぞっとしているイトーちゃんです。

みなさんはいかがでしょうか?焦ってきませんか?

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滋賀県在住会社員です

今日は先日あった嬉しい出来事とそれについて感じたことを書いていこうと思います。よろしければ最後までお付き合いください。

 

SNSつながりの友人に誘われる

昨日は鳥取に住む友人であるたなべっちから京都に出張に来るから一緒に飲みませんか?というお誘いを受けました。もちろん断る理由もなく休暇を取り夕方から楽しい時間を過ごさせていただきました。

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この幸せそうな表情w

たなべっちとは3年ほど前にとあるマーケティングセミナーで知り合い、その後SNSでのコミュニケーションで親交を深めて今年2月の鳥取ラソンに一緒に出場しました。

鳥取県庁のスポーツ課で地域のスポーツ振興や海外からの合宿誘致に尽力されているんですが、鳥取ラソンを走られるということで少しはボクのツイートが彼の背中を押すことになったようで彼の初マラソンに一緒に参加させていただきました。

そんな縁もあって昨日は大いにお酒の席でも話題に事欠くことなくあっという間に時間が過ぎていったのでした。よく考えたらまだ3〜4回しか会ったことない人なのにまるで旧知の仲のように会話が盛り上がるのです。実際毎日顔を合わせている会社の同僚でもここまで一緒に飲んでいて楽しい人はなかなかいないのが実情です。

本当に不思議な話です。
 

  

自分を出せば出すほど近い人を引き寄せる

それもこれもSNSが今の時代にボクらに与えてくれている恩恵だと思うのです。
SNSのない時代に若き日を過ごしたボクらは余程の行動力のある人でない限りは、家族・会社の同僚・地元の友人といった生活の行動圏内の人としか出会うことは滅多にありません。
どうしても自分自身の行動範囲や思考の幅も拡張することはなく、井の中の蛙大海を知らずでいつの間にか歳をとっていくというものでした。それで安心だし、安定するのであればそれでもいいと思っていたのがつい15〜20年ほど前の自分です。

でも、今の時代は誰もが自分の価値観や思考過程を発信できる時代です。
自分自身を包み隠すことなくさらけ出していけばいくほど発信を見る人からの信用は積み重なり、自分自身のパーソナリティが認知されていきます。
だからこそ、その発信に共感してくれたり、同じ「好き」を持つ人が親近感を持って近づいてきてくれたりします。 

SNS時代のネットはまさにリアルです。でも未だにSNSは所詮ネットの世界と割り切っている人も周りには多いのが実情です。自分をよく見せようと飾れば飾るほどリアルで信用を裏切ることになるのにその呪縛から逃れられない人も多いのだと思います。

もっとリアルな自分を出していくことでよりリアルに自分にフィットする人を引き寄せることができます。きっと誰も完璧な人なんて求めていません。

ボクが好きなのは今は不完全で時々はネガティブな発信があるけれど着実に前を向いて頑張っている人です。そして自分自身もそうありたいと思うのです。ボク自身不惑の40代に入ってもまだまだ惑っているし前を向いて進む年下の仲間に希望を見い出すこともしょっちゅうです。
でも、40代だからって下手に大人ぶらず、まだまだ未熟な自分を惜しげもなく出していきたいし、それでも付き合ってくれる仲間と付き合いたいと思うんです。

 

 

 リスクはクスリ

 何かの投資関連の書籍で読んだんですが「リスクはクスリ」という言葉がありました。人間は現状維持バイアスを持っており、本来は変動するところに価値が生まれるものであるのに「何もしなければ安全だ」という思考が働く生き物だそうです。

クスリは病気に対しての効き目がありますが、同時に副作用というリスクも持ち合わせています。要するに安全の中にも必ずリスクは付きものだということです。

SNSについて多くの人が感じているリスクは、実名や顔出しで自分を発信することについて見られたくない誰かに見られてしまうということでしょう。そして、そんなリスクを取るよりは、匿名で顔を伏せて気楽に言いたい放題に言える方が安心できるという思考が働いているのではないでしょうか。
でももしフォロワーとの関係をリアルにつなげるとして、匿名で顔もわからない言いたい放題に言っている人を誰が信頼することができるでしょうか。結局は周りの目を気にしてSNSに時間ばかりを奪われることになるのです。

もしも、価値観の近いリアルなつながりを求めるのであれば、覚悟を持って自分を出して発信しなければ難しいでしょう。ここで不確実性や変化を受け入れることが大きな価値になりリターンは生まれるのではないでしょうか。

 

 

 

属するコミュニティで成長度合いは飛躍的に上がる

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顔出ししてリアルに発信し始めればコミュニティに属することでさらに自分自身を成長させることができます。

ボクが所属しているわいざんおもしろマーケティング組合というコミュニティはまさにリアルです。有名人が主催しているオンラインサロンみたいに主催者であるカリスマ的な人が引っ張っていくタイプのコミュニティではなく、主催であるわいざんが行動しようとする未完成の人たちの背中を押すことでメンバーそれぞれが主体性を持って動き出す過程がしっかりと見られるコミュニティです。

そこには同調圧力もなければ馴れ合いもありません。みんながわいざんの提案に対してそれぞれに主体的に行動するんです。誰もが強迫観念なく動くのが見ていてとても刺激になるのです。 

yzan.jp

 最近こちらのサロンでも話題の音声配信アプリ「Radiotalk」ですが、メンバーが次々と配信を開始して30人近くが番組を持っています。(ボクは挫折しましたw)

そんな感じで行動しようとする人を全肯定して背中を押してくれるオンラインサロンでここには本当にいい流れが起こっているように感じるんですよね。

もしもSNSを自分を成長させるためのリアルなコミュニケーションの場にと考えている方にはオススメしたいコミュニティです。

 

オンラインサロン入会はこちらから

yzan.jp

  

【思考】声の大きな人に委ねるのはもうやめよう|決めるのは常に自分自身

みなさんごきげんよう

12月には大阪マラソン、2月には京都マラソンと冬場は都市マラソンざんまいのイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

今日はランニングに関してのTwitterのやりとりの中でのやりとりからの気づきについてお伝えしたいと思います。

 

こちらの記事も合わせて読んでもらえると嬉しいです。

www.ito-chan.net

 

 

とあるツイートのやりとりから

 ボクはランニングを継続したいけどなかなか一人では続けるのは難しいという自分自身の経験からmapmyrunというアプリを使ってランニングを始めたばかりのTwitter仲間を誘って交流しています。

その中で北海道蘭越町の農家のお嫁さんタムタムは農家と町会議員という二足の草鞋を履きながらもその忙しい時間の合間を縫ってランニングを頑張っています。ボクも彼女の投稿に刺激されて怠けた時には自分を叱咤することもあるくらいです。

その彼女が投稿で知らせてくれたのはメンタリストDaigoさんのYouTubeでした。ボクも実は昨年拝見してへーそうだったのか!と若干驚いた内容でした。

テキストのものもあるので良かったら読んでみてください。

daigoblog.jp

そう、タイトルが結構衝撃的だと思うんですが、ザクっと言うとランニングをしてもいいことはないからやめといた方がいいよという内容です。

目次の抜粋です。

  • 長時間の有酸素運動は老化を促進する
  • 45分以上の有酸素運動はおすすめしません
  • ランニングするくらいならウォーキングをする方がいい
  • 脂肪ではなく筋肉が消費される
  • 運動は日常生活での代謝を高めるために行う

科学的なエビデンスを踏まえてのことですので全て内容は的を得ていることです。でも太腿などの大きな筋肉が鍛えられて代謝が上がったり、気分が晴れるのでストレスによる過食を抑える効果があったり一概にランニングが痩せないとは言えないのではないでしょうか。

ボクは7年間走っていますが、一時は体脂肪率は6%まで削減できたし、体重はランニングによって調整していますし、40歳を越えた今でも維持しています。

同世代の男子よりも体内環境や外見も決して老化しているとは思いません。Daigoさんが、ランニングを熱心にしていてその上でこのエビデンスをもってランニングを否定するのであれば納得ができるのですがタイトルがあまりにも過激で少し残念さを感じます。

  

 

声の大きい人の言葉を鵜呑みにしないほうがいい

もちろんボクは主観的な見解でですが、ランニングは精神上身体上の健康のためにいいと思っています。

ただ、この記事を読んでランニングに対して悪印象を持った人はどのくらいいるのでしょうか?

ましてやYoutubeチャンネル登録者数170万人のDaigoさんが「ランニングは痩せないし老化する」と言えばどのくらいの影響力があるのかは計り知れません。

ボクはメンタリストDaigoさんはこの記事を読む前も読んだ後も大好きで時々Youtubeも拝見したりしています。本当に時事問題なんかに物申す時なんか切れ味が鋭くてすごく爽快なんですよね。

今のご時世インフルエンサーというのは本当に世論を動かすくらいの力を持っているのだと思います。だから、有名人だからとかみんながいいと言うからという理由だけで、彼らのいうことを鵜呑みにすることは非常に危険だと思います。

あくまで自分自身でも調べてみる努力をしてみることが大切なのだと思います。

メンタリストDaigoさんはよくYoutubeの中でマスコミを徹底的に批判されています。でも彼も人間です。影響力という神器はいつか人を傷つける凶器にすら変わる危険性を持っているのだと思うのです。

 

 

最後の最後決めるのは自分で誰かではない

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有名な誰かが言っているから間違いないという思考はかなり危険なのだと思います。それは判断のものさしを自分の外側に置くことに他ならないからです。誰かがいうことに従い、何かに挑戦しないことは自分が何もしないことに対する言い訳になってしまうのです。そんなことでは絶対に成長はあり得ないのだと思います。

今回タムタムがランニングを捨てないということを自分で決めてくれたことをボクはとても嬉しく思うしタムタムの決断に賛辞を送りたいと思います。

大丈夫、ランニングと筋トレを組み合わせればきっと浮き輪は外れるから。

 

 

【思考】今ある時間は永遠ではない|濃度の高い人生を生きるための指針

みなさんごきげんよう

この1ヶ月かなり仕事に追われていて少し自分迷子になっていたイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

やっぱ忙しくなると自分が見えなくなるなあって反省していた今朝です。そんな中で一旦立ち止まることを意識的にしなければならないと感じています。

今日はその時間というものについて書いていこうかなと思います。

 

 

 

多くの災害から感じること

多くの人の命を奪った東日本大震災をはじめとする地震による被害、先日は多くの河川を洪水させるくらいに猛威を振るった超大型台風。

日本列島を襲う自然災害は年々凶暴さを増しているように思えます。そういう災害による被害がテレビやSNSで流れてくるのを見るにつけ明日は我が身と危機感を感じるのはボクだけじゃないのではないでしょうか。

本当にいつ自分の街が浸水被害に合うかもしれないし、津波によって飲み込まれるかもしれない。そんなことばかり考えていたら前向きには生きられないかもしれないけれども、そのように考えざるを得ないほど定期的に大自然は猛威を振るってきます。

ボクは元来は非常に楽観的な人間ですが、ここ数年に起きた身近な人に降りかかる災害を見るにつけ心を痛めています。

ボクらはどんなに一生懸命に生きようと思っても自然の前にはあっけなく命を奪われることもあるのです。

 

 

自分の時間の濃度を上げる

そんな不確定な人生の中で、ボクらはできることをできる時にするしかないのだと思うのです。生きたいと願えど生きられない人はこの世にごまんと存在するんです。

人生に指針を持たなければ、何も思うことなく、何も残すことなく命を落とすことがあると思うと本当に恐ろしいものです。

ボクが尊敬する著者にジョン・キムさんという方がいます。この方の「媚びない人生」という著書がボクに大きな指針を与えてくれています。

重要なのは、瞬間に対する緊張感を持ち、瞬間を刻むことなのだ。時間の長さではなく”魂”の濃度をもって時間の濃度を限りなく高めていく。この瞬間に全てをかけるということこそ、生きる人の権利であり義務である。このことがわかった瞬間、くだらないこと、つまらないことには目は向かなくなる。

人間の生きた価値とは、どれほど長く生きたかではなく、どれほど濃度の濃い人生を生きたか、によって決まると私は思う。図式にすると「濃度×長さ=人生の価値」になる。社会の流れに沿って、集団の空気を読んで、順応的に生きることが自分が目指す生き方ではないはずだ。人間は人生のある時点で、自分の志や良心という尺度で人生を生きていくことを決意する必要がある。また、時に自身の尺度が社会や組織の尺度とぶつかり合うことあろうが、その時は自身の尺度を優先さえる気概も持たなければならない。 

 

瞬間に対する緊張感。これについては意識しないとボクらは日常の「忙しさ」の中で感じることができなくなってしまいます。

ただただ流されて今日は忙しかったと振り返る毎日よりも、今日はこんなことがあるから楽しもうと自らを奮い立たせたり励ましたりしながら今日という一日を過ごし明日はこんな風にしたいと省みる日にしていきたいものです。

そうすることで一日の濃度は高まり、生きているという実感とともに一日を終えられるのだと思います。

 

 

今ある時間は永遠ではない

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 ボクは若い頃は時間に支配される人生を送っていました。大人になったら働かなければならない。社会人は自分の時間を犠牲にしなければならない。社会の要請に応えて常識をわきまえなければならない。そんな自分自身の固定観念や周りの目ばかり気にして強迫観念に抑圧された人生を送ってきました。

でも、それを大きく変えてくれたのは最愛の母の死でした。

ボクの母は割と世間体を気にするストレスを溜めやすい性分でした。何かと抱えるものも多くそのストレスが病を生んだのではないかと今思えば感じるのです。

その母の死が無言で遺してくれたのは、ボクに人生に対する向き合い方を変えよという指針でした。母の死を機に自分は自分らしく、そして自分の人生に対して全責任を引き受けるように生きようと思いました。自分の人生を楽しむ、そして悔いのない人生を送ろうと思いました。

忙しさにまみれておろそかにしていた自分自身の健康について見つめ直し、タバコをやめ運動を始め、仕事に逃げることなく自分の時間と向き合うことを始めました。

母が遺してくれたものはあまりにも偉大でした。ボクはあの時のボクとは全く別人のように息を吹き返したのです。

もっと時間に濃度を持とう。それを20代のボクに伝えてあげたい。

でも、時間は戻りません。これからのボクはボクの人生の濃度を高め続けていこうと思います。願わくば長く生きたい。叶うならこれからの人生を大好きな人たちと大好きなことをしながら濃い時間を過ごしたいものです。

 

【思考】主体性があれば大体は解決する|社畜になり下がらない生き方をしよう

みなさんごきげんよう

日曜の昼下がりいかがお過ごしでしょうか?

4日間の富山出張を終えて若干お疲れ気味のイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

 

今朝ランニングしながら考えていたこと。それは「会社員=社畜」と捉える人のマインドというのは生きることにおいて全てを強迫観念として捉える人なのではないかということです。
これは偉そうにいうつもりはなくてかつては自分も陥っていたマインドだからということです。

今日はそんなことについて書いていきます。良かったら最後までお付き合いください。

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www.ito-chan.net

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強迫観念よりも願望を優先する

少し話は変わりますが、ボクはランニングを始めて約7年になります。元々はタバコをやめて食欲が増して体重がみるみる増えて今より約10キロも太ってしまったため「痩せなければ」という強迫観念によって始めました。
始めた頃は出勤前に1時間早く起きてランニングをすることが苦痛でしょうがありませんでした。このまま苦痛に終わっていたら数日と保たずに辞めていたことでしょう。
ラッキーなことにボクは日を追うごとに距離を伸ばしていけることに自分自身の成長を感じ、季節を楽しむ悦びや自分と向き合う時間を得ることにランニングの素晴らしさを感じていました。
そんなボクがフルマラソンに挑戦するフェーズに入った時にはすでに「時間をこじ開けてでも走りたい」という風に考え方が一変していました。
これは何にでも当てはまることだと思うんですが、目的が強迫観念からくることであればどうしても「ねば」が入り、パフォーマンスも落ちてきます。それに対して目的が願望からくるものであれば「たい」が入りモチベーションが高まりパフォーマンスも高まるんです。
だから、何かを始めるときは「自分がどうありたいか」という願望を一番頭において主体的に始めていくことが大切なんですよね。

 

 

 

社畜マインドセット

話を戻して、「会社員=社畜」と捉える人のマインドですがこれはやはり働くことを強迫観念で捉えている人のマインドセットだということです。
「収入を得るために働かねばならない」。
こう考え始めると確かに働かなければ収入が得られず、まるで自分自身が奴隷のように感じられてくるのもわからなくはありません。
しかしそういうマインドセットを持つ人は仕事だけでなく私生活でも同じように強迫観念で捉えるのだと思います。
「週末は家族サービスせねばならない」。
こう考えてしまうと自分自身を誰かが築いた家族観というものに当てはめて奴隷のように感じてしまうのかもしれません。(ちなみにボクは家族サービスという言葉が大嫌いです。)
なにごとでもそうですが物事を主体的に捉えず、強迫観念に毒されて暮らしてしまうと幸福感とは程遠い人生になってしまうと思うのです。

 

 

 

人はいかなる環境であっても自分で作れる

30代前半まではボクも社畜だったのだと思います。何ごとも主体的に捉えることができず、自分の選択で選んできた道なのに本気になれず飲み会では会社や上司の愚痴ばかり。
そんなだったから自分の生き方にも自信が持てず、ボクの20代から30代前半という時期は誰にも誇れるような会社員生活ではありませんでした。
30代前半の頃、ボクは最悪の労働環境下にありました。なんとも結果が出すことが難しい前例のないことを始めるプロジェクトに配置された頃でした。
朝から夜遅くまで休日も潰して働いていたのですが、当時の上司は上にへつらい部下への当たりがかなり強いタイプでした。その上司の叱責や罵声で心底疲れ果てていました。ボクは自分で自分のことを精神的に強い方だと思っていたのですが、そのボクもそろそろヤバいという自覚がありました。
当時今ある職場から降職することは「ケツを割る」と呼ばれて不名誉なことでした。そして、自分なりにそれなりにレールに乗っているという変なプライドだけはありました。
しかし自分の心と向き合い、人事課へ駆け込み降職を願い出て上司のパワハラを告発したのです。
それでも会社はボクのことを決して見捨てることはありませんでしたし味方になってくれました。
降職を願い出たら会社人生なんて終わりだと思っていたのは自分の思い込みだということに気づいたのです。
今もし不遇な環境で会社員生活を送っている人に伝えたいのはただただ我慢することだけはやめたほうがいいということです。我慢しなくても選択肢はあるし環境は自分自身で選ぶことができるんです。

 

 

 

だいたいのことは主体性があれば解決する

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結局のところは、今周りにある多くのことは誰かが築き上げてきた正論であったり常識だということです。今のような変化の激しい時代でそれにとらわれるということはナンセンスだということです。
おそらく「会社員=社畜」というマインドセットをする人はその感覚が欠如している(というか気づいていない)のです。今の時代会社も「人」に注目していることは確かでコンプライアンス働き方改革というものも会社員には追い風なのだと思います。
もちろんただただゴネろと言っているのではありません。与えられた持ち場で一生懸命目の前のことを頑張ることがとても大切ですし、そこで主体性を発揮して自分の仕事に対して誇りを持ち充実させることが生きる歓びにつながります。決して仕事は収入を得るためだけにあるものではありません。
人生の大きな柱である仕事の時間を主体的に過ごせるようになれば、家族との時間や自分が趣味に使う時間をも主体的に使えるようになってきます。

何ごとも考え方次第。同じ生きるなら主体的に生きると充実してくるよってことが今日お伝えしたかったことです。

 

【思考】仕事を楽しむ意識を持つと人生は変わる|虎リーマンのススメ

みなさんごきげんよう

今週は富山に3日連続出張でなんだかぐったり疲れているイトーちゃんです。台風が来ていることもあるのかもしれませんね。

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滋賀県在住会社員です

 台風の今日はツイートの深掘りです。ゆっくり考える時間に当てました。よかったら最後までお付き合いください。

 

今日のお題です。

 

会社員であることが苦しかった30代前半まで

今では楽しそうに毎日を送っているボクですが30代前半まではどちらかというと仕事は苦しいものだと思い込んでいました。なぜボクがそういう風に考えていたかというとやはり親の影響や会社の先輩の影響が大きいと思います。

母からは父に感謝することを常に教えられてきました。「いつもお父さんが汗水垂らして働いてくれているからご飯が食べられるのだよ」と。素直にそれを受け入れていつも疲れて帰ってくる父には本当に感謝をしていました。
でも、ボクが感じていたのは父は家族のために自分の身を犠牲にして苦行に耐えてきてくれているのだということです。同時に「社会人=死」「家庭人=墓場」というように拗ねた見方をするようになり大人になることに希望を持つことができませんでした。

社会人になり20代は同期と学生時代のように遊びに行ったり楽しいこともありましたが、ボクらに先輩や上司が叩き込んだのは仕事は厳しいものだということでした。
笑顔でいたら「何ヘラヘラしてんのや!」と怒られるし、面白いやんと思ってやったことは「それは前例にない」と怒られる。
そうやって削られてボクはどんどん面白くない会社員に染まっていったように思います。先輩に逆らえるほどの勇気がなく、会社を辞めたりしたら人生は終わりだくらいに考えていたんですよね。だからボクは上司の言うことにはどんなにしょうもないと思うことでも文句ひとつ言わずに顔色ひとつ変えずにやってきました。
今思えば本当に主体性がなく未熟な自分でした。

 

 

多様な価値観が人生を変える

そんな自分自身がキライだったボクが自分を変えたいと思ったのは30代前半の頃です。まずは自分の思考を変えたいと思い、それまでは忙しさにかまけてほとんど読むことのなかった自己啓発書やビジネス書を読み始めました。
本を読み始めると自分の中での自分の思い込んでいたことや人から刷り込まれたことにヒビが入りバラバラと崩れ落ちるように自分の中で肚に落ちていきました。年間100冊を自分で必ず購入して読むということを自分に課して、出勤前の朝の4時に起きて読んでいました。
本を読んでは自分のブログにポイントを抽出して自分の血肉にすることを繰り返しました。ボクの中の価値観や前向きな精神はそれを続けた3年くらいで築かれていったのかなと今思えばそう思います。

そしてもう一つがSNSに取り組んだことです。始めたきっかけは会社員としての収入以外で何かマネタイズできることがあるのではないかという下心だったのでした。
そこで色々な人と出会い、自分の価値観をひっくり返されるようなエキサイティングな出会いや若干の辛い思いや別れを繰り返して今に至ります。
SNSからボクが得られた最大の収穫はマネタイズの手法ではなく、お互いに励まし合いモチベーションを高めたり刺激を与え合うことができる仲間ができたことです。

本当にこれが最大の収穫だったと思っています。

 

 

必ずしも会社員=社畜ではない 虎になる生き方

話を元に戻しますが、未だに「会社員=社畜」という思い込みをして会社員を辞めてキラキラとした世界に飛び込みたいというようなツイートをよく見かけます。でもそういう人たちに限って主体性が欠如しています。決して今の会社を辞めたところでうまくいくほど甘くはないのが現実です。

最近読んだ本の中にわかりやすい文章があったので引用しますね。

虎はライオンと同じ猛獣でありながら、スタイルは異なります。群れに頼らず単独で行動し、スキルを磨いて獲物を手に入れていく。私が虎に抱いているイメージは「自立」です。つまり忖度したりされたりするのではなくて、「オーナーシップ(当事者意識)」を持ち、自分の心の声に従い、人生は自分のもの、自分で切り開いていくんだという強さが、虎の条件なのです。

会社の中で働く一人ひとりの社員だって、虎になることはできるのではないか。会社員でありながら、組織の意向を慮るよりも自分の意思・良心に従い、会社のリソースを使って、顧客のために働く社員。そんな人たちを、私は社員の虎「トラリーマン」と読んでいます。

何のために働いているかがわからず腐ってしまったり、社畜になって心身を痛めたりする前に、まずトラリーマンになってみる。「クビにするんだったら、クビにしてみろ!」と開き直って、会社の中で顧客のためになる、自分がいいと思う仕事を実行してみる。

大事なのは、「何のための仕事か」というスタンスです。ライオン型の上司がいると、その声の大きさに圧倒されて、ついつい「上司のための仕事」になってしまいがちです。しかし、会社が利益を得ている相手は誰かというと「上司」ではなく「顧客」です。あなたがいい仕事をしたときに、喜んでくれる相手というのは、本来は顧客なのです。

 

いかがでしょうか。ボクは上司の顔色ばかりを伺って自分の思っていることを打ち殺していました。それはまさに社畜の入り口です。

本来の仕事の大意を感じた時にはじめてその仕事の意義とか価値を感じました。それこそ自分が大切な時間の大半を使ってする仕事なんですよね。
簡単なことなのですが本当に気づかないことだしいつの間にか毒されることです。だからボクはいつも自戒も込めて自分の仕事を棚卸ししようと思っています。

 

 

同じ使う時間なら楽しくしよう

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顧客のため!といきなり崇高な思いを持とうとしても 正直難しいものです。それは家族のため!という強迫観念を持つような思考に似ていると思うのです。
大切なのはまずは自分自身を満たすことです。
「家族のために」と仕事を苦行と捉え自分自身に強迫観念を与えて平日は苦しい仕事に没頭し、休日は疲れた身体に鞭打つように「家族サービス」をする。そんな背中を子供たちに見せて本当に家族は幸せなのでしょうか。
ボクは親が自分自身を満たし楽しんでいる背中を家族に見せることがいちばん子供たちに希望を与えることだと思っています。これは自分が親の背中を見て学んだことかもしれません。

ボクと同じように会社員として働く人に言いたい。会社はそれほど簡単にはボクらをクビにすることはありません。おかしいことはおかしいと言えるし、それが会社のためになることだってあるんです。会社というリソースを使って主体的に仕事ができることに感謝を送りつつ、独立した個人であるということはしっかりと持って楽しく毎日を過ごしていきたいものですね。

【思考】「真面目であること」は是か非か|主体性を持つこと=真面目ではない

みなさんごきげんよう

ラグビーワールドカップが盛り上がっていますね。ノットホニャララっていう長いルール用語がめちゃめちゃ気になっているニワカ日本代表チームファンのイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

さて今日はツイートの深掘りです。

よかったら最後までお付き合いください。

 

 

「ねば」よりも「たい」を大切にしよう 

みなさんは頑張れば報われると思い、頑張ったけど報われなかったことはありますか?ボクの会社員人生の中ではそういうことはしょっちゅうで、朝から寝る間も惜しんで働いたけど結果が出なかったということは多々ありました。でも、その度に頑張らなければと自分を奮い立たせて再起を計りました。

でも今から思えば、それは自分の本意ではないことを上司の指示で同調圧力や強迫観念を感じながら仕方なくやっていたからなのだと思います。主体性をなくし、これは会社の指示だ会社が言うのであればという風に自分自身を納得させながらやってきたことによるのだと思います。そういう時は結果が出ることはありません。

一番結果が出た時というのはやはり自分の意思で計画し部下を説得して鼓舞した時です。それは自分自身が主体的に「〜したい」という意思を上司や部下などの周りの人に対して示したことで巻き込むことができたからです。

物事がうまくいかなくなった時、成果が出ない時には一度振り返ったほうがいい。それは自分がやりたくてやっていることなのか。誰かの期待に応えようとして無理をしていないか。

全ては自分自身が主体です。もしも自分のやりたくないことであれば、やらなければいけないことよりもやりたいと思うことができる環境を整えたいものです。

 

 

SNSにおける疲れない方法

これはSNSにも同じようなことが起こるわけで、ボクの経験上コミュニケーションを通して関係性を築いていくとそれにより楽しさも生まれますが同時に息苦しさが生まれることがあるのです。

それはある種返報性の原理的なものではあるのですが、いいねを押してもらったことに感謝の気持ちが起こるのは人として自然だと思うのですがいいねを押してくれた人の投稿を見に行かなければならないという強迫観念が生まれることがあるんです。「あの人は見にきてくれているのにこちらが見に行かなければ申し訳ない」というような謎の罪悪感です。ボクはSNSを始めた頃にこの感覚をすごく感じて疲れたことがあります。

そして、最近クラウドファンディングや物販を紹介される人も多いのですが、「この人から買いたい」「この人を支援したい」という純粋な気持ちで購入したり応援したりすることは自然な反応で良いのですが、「この人から買わなければ仲良くしてもらえない」とか「この人のクラファンはみんなが応援してるからしなければ」という強迫観念を持つとSNS自体に違和感を持つのだと思うのです。

要はそこに自分があるかということを常に持っておきたいものです。流されてばかりではいずれ違和感や虚しさに押しつぶされることになります。そういうのって結局相手はそれほど自分のことを見ているわけではないのに勝手に自爆することになるんですよね。

だから、自分の願望や主体性をしっかりと意識してやりましょう。そうすればSNSに感じるのは自由しかありません。不自由は自分で手放すことができます。 

 

 

真面目であることは是か否か

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日本人は真面目で勤勉な国民性だとよく言われます。
日本人の「お金=汚い」というイメージも結局はこういういわゆる真面目で勤勉な国民性からくるのだと思います。ちゃんと汗水垂らして仕事をしてこそお金を受け取らなければならないというやつです。本来はこのご時世それがたとえ汗水垂らさなくとも人や社会に役立つようなことであれば仕事だというのにです。

話を本題に戻しますが、我々日本人の真面目というのは本物の真面目なのでしょうか。ボクはそうは思っていなくて、自分自身が納得いかないような仕事を粛々と我慢しながらこなして上司の顔色ばかり伺って社会や顧客のためという大義を見失い、仕事が終わったらその愚痴ばかりこぼす。結局リスクを取らないで会社が与えたことだけを忠実にこなすことが真面目なのだとしたらボクは真面目でないほうが余程いいのだと思っています。

会社員としてもそうですが、SNS上の人間関係にしても、もしも自分が納得いかないのであれば一旦離れればいいのだとボクは思うのです。こうでなければならないというのはなくて結局は自分で選ぶことが自分を救うことになるのだと思います。

 

自分の道は自分で切り開きましょう。

【SNS】そのgive&giveはホンモノか|自分らしさを求めるとTwitterは俄然楽しくなる

みなさんごきげんよう

10月になりました。ついに増税しましたね。まだまだ先のことだと思っていたらあっという間ですが、なんとなくそれほど大きな話題にはならないままなんとなくそうなったって感じですがみなさんはいかがでしょうか?

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滋賀県在住会社員です

今日はSNSについてのお話です。

ボクなりのTwitter論を私見たっぷりでお伝えしようと思います。

興味のある方は最後までお付き合いください。

 

 

Twitterでよく見かける企画というもの

☆☆Twitterコンサル企画☆☆

【内容】

抽選で3名様
無料でTwitterコンサルさせてもらいます!

【条件】

▶️○○○(@○○○)をフォロー

▶︎このツイートをRT

▶︎リプで参加表明

【期限】

○月○日23時59分まで


ぜひよろしくお願いします

最近こんなツイートがリツイートされてきてタイムラインに流れてくるのが多いのですが皆さんいかがでしょうか?

ちょっと前に元ZOZOの前澤さんや青汁王子なんかが現金プレゼントみたいなものもやっていましたが、それとはまた少し違うようです。

彼らは同じような雛形に自分の名前を落とし込んでこのようなツイートをします。彼らの主な目的はフォロワーを増やすことのようです。

彼らのプロフィールを覗きに行くと、スクロールしてもしても同じようなツイートをしている人たちのリツイートばかりが並んでいます。 
というのも、彼らはそういうコミュニティを形成してお互いを紹介しながら、それが楽しそうだ思う人や同じようなフォロワーを増やしたい露出を高めたいという共通の目的がある人をどんどん巻き込んで拡散していくのです。

こうやってボクの目に入ってくるという時点でその作戦はある意味成功であって幅広くツイートは拡散されていっているんですよね。

フォロワーを増やして影響力を高めたいという目的があってその手段として「企画」を立ち上げることをボクは否定したりはしません。ただ自分はやりたいとは思わないからやらないし、そういう人たちとはあまり関わりたくないのが正直なところです。

  

 

強迫観念を感じたらクソつまらなくなる

ボクのフォロワーさん(おそらくTwitterを始めてまだ間もない)が最近この手のコミュニティに属するようになっています。ボクがあまり関わりたくない人たちなので普通ならリストから外して距離を置くところです。

でも、その人はとても熱心で真面目な方なのでしょう。「企画」を追い始めた頃には熱心にリツイートしたり、その人を引用リツイートで一生懸命に応援されていました。ところが最近その頻度がだんだん減ってきていて、ついに自分のツイートの中で「フォロワーの皆さん、最近紹介や応援ができなくてすみません!プライベートが忙しくて本当にごめんなさい」と謝り出したのです。

おそらくボクが説得したところでその人には届かないだろうし、その人はその方法が正しいと思い込んでいるだろうから今更周りから何を言われても批判にしか受け取れないのだろうと思います。

そういう界隈のインフルエンサーと呼ばれる人たちの常套句が「give&give」という一見とても美しい言葉です。人のために尽くして尽くして尽くしてこそ報われるのだという「教え」です。

一部の成功した人たちがそのことを自分の実績としてツイートするとそれを信じてやまない「信者」の人たちはフォロワーを増やして影響力を高めるためにはそれが原理原則なのだとすら思ってしまうのでしょう。

そしてその界隈で影響力のある人はそれを諌める人たちを批判者として遠ざけるように耳打ちをするのでしょう。

 

 

give&giveが閉塞感を生む

本当に「give&give」がフォロワーを増やし影響力を高めるのでしょうか。

そんなことは決してありません。
実はボク自身もその罠に落ちたことがあるからです。

Facebookを始めた2011年ごろ第一次インフルエンサーブームというのでしょうか。いいね!を1000もらえるくらいの影響力を身につけましょうというようなセミナーやコミュニティが林立していました。それはヘビーにFacebookを活用している人にいいね!やコメントをどんどんしようというものでした。そうすることで返報性の原理を利用したいいね!を獲得するというものでした。確かに数字はどんどん増えていきます。

しかし、それと同時に「あの人の投稿を見に行けていない」「あの人の投稿にコメントをしなければ」という強迫観念というものが生まれてきます。しかし一度甘い果実を口にすればなかなかそこから離れることはできません。いいね!やフォロワーを数でしか捉えていない人にとっては結局それは自分を着飾るためのブランド服でしかないのですが、それをなかなか手放すことができない無間地獄に落ちるのです。

「give&give」というのは耳障りのいい言葉ですが、結局は裏を返せば「強迫観念×強迫観念」なのです。

そうなってしまえばもうあとはかけた時間のあまりの大きさに対しての後悔と虚しさだけが押し寄せてくるのです。

結局講師として手法を広めたり、その中でカリスマ的な振る舞いができたほんの一部の人たちだけが「影響力」を得られるのかもしれません。その他の人は利用されるだけ利用されるのです。
インターネットの世界はそういう影響力を利用したビジネスめいたものが横行する世界でもあるのです。

 

 

自分らしさを求めると俄然楽しくなる

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ボクは面と向かってその人に対してアドバイスを送ることはできません。だからこのブログを読んで気づいてほしい。ハリボテの影響力を得ることやいいね!やフォロワーを数として追うことの虚しさを。
そしてあなたはそういう人を応援しなければいけない環境に陥ってしまっていてそこから抜け出せないでいるのでしょう。

でも、気づいてほしい。Twitterのコミュニティはそこだけではないということを。自分らしく、自分の思考や行動をツイートしているだけで心を通わせたり、自然と応援ができる関係性があることを。

いいねを押すことにリツイートすることに強迫観念を感じるのであれば、今すぐそこからは離れた方がいい。自分がどこにいるか、どこに属するか、誰と仲良くするか、何をツイートしたいか。その選択権は全てあなたにあるのですから。